トルコで僕は羊飼いになった – 前篇 -(トルコ旅2012その4)

トルコで僕は羊飼いになった – 前篇 -(トルコ旅2012その4)話はすこし遡る。僕は何の計画もないまま先輩に呼び出されてカッパドキアにきて、これから残りの旅をどうしようかと思案していた。何となくインターネットでトルコについて調べていて、いまとなってはどこのサイトかも憶えていないのだけれど、偶然大自然のなかでたくさんの羊が写っている写真を目にする。その1枚の写真で僕はふと、いつからか抱いていた憧れを思い出した。「アルケミスト」をかつて読んだためか、あるいはモンゴルの放牧とゲルの生活を知って本当のノマドワークというものがやりたかったのか、もとの興味を持った理由はわからない。けれど、『羊飼い』という職を一度は経験してみたいと心のどこかで思っていた。そんなどこかに仕舞われていた小さな願望が、その1枚の写真によってふいに眼前に引き出されたのだった。

しかし、どうすればいいのだろう。羊飼いといえばどこにでもいそうだけれど、どこにもいなさそうだ。まったく検討もつかない。すくなくともこの旅ではまだ見ていない、ある程度日本よりもトルコの方が放牧は盛んなようだけれども。というか日本ですら『羊飼い』なんてものは見たこともないかもしれない。山?山にいけば会えるのかしら?どの山?そして行ったところでトルコ語もろくに喋れない日本人がひとりで突っ込んでいってやらせてもらえるものなのだろうか。そもそも羊飼いって何をやるんだ。

その程度の認識で、とりあえずその頃ギョレメで泊まっていたUFUK PENSIONのオーナーのオルハンに「羊飼いがやりたいのだけれど…」と相談してみた。

そしたら何と、彼は子どものころ羊飼いをやったことがあるという。まじか。話をさらにきいていると、彼はYahyalı(ヤフヤル——このカタカナの表記と発音はすこしちがうのだけれど、僕はその発音に関してはネイティブなみだと自負している。どうでもいい。)という、カッパドキアの東に位置する大都市カイセリからさらにまた南に100キロほどの田舎町出身らしく、そのヤフヤルの周辺には羊飼いがいまも多くいるという。そこにいけばいいよ。僕はファミリーネームがKALLEというのだけど、YahyalıにはKALLEの名字の家族が200名くらいいるからとりあえず行って僕の名前を出せば何とかなるはずだ。

何の気なしに話した宿のオーナーがむかし羊飼い―—この偶然の巡り合わせで、僕の小さな願望は一気に現実味を帯び始めた。もちろん僕の持っていた「地球の歩き方」にはYahyalıなんて街は1ページも載っていない。ぜんぜん歩き方すらわからないじゃないか。全土の地図をみると、なるほど、確かにYahyalıと黒点が打たれた隣に小さな文字で書かれている。インターネットで調べても日本語で調べたところで羊の絨毯が有名です、くらいしか出てこない。

「ただし」オルハンは続けた、「英語を話せる人間はほとんどいないから、その辺は頑張って。トルコ語を勉強したほうがいい。」という忠告を貰った。そこでトルコ語で「羊飼いがやりたい」という旨の文章を書いてほしい、と頼むと快諾。すらすらと書いてくれた。

簡単に訳すと、「羊やヤギの世話をする羊飼いがやりたいです。寝床と食事を下さい。(お金は要りません)」となる。僕はこの文章を恍惚としながら見つめる、これをYahyalıでトルコ人の誰かに見せている自分を想像しながら。次第にワクワクが止まらなくなる。トルコ語で羊飼いはÇoban(チョバン)というとオルハンから教えてもらった。Çobanにすこし未来の僕は無事になれているのだろうか。

アドバイスをくれたオルハンにありがとう、と告げた。「何でもないよ、しかしなんで羊飼いになりたいんだ?楽な仕事ではないよ、むしろすごく大変だ」「わからない、何でだろう、なんとなくかもしれない」

僕はいつもなんとなくばかりだ。しかし、すこし気障な言い方をさせてもらうと、それでもどうやら賽は投げられたらしい。

そこから数日が経ち、僕はカッパドキアを出て、カイセリのバスターミナルでYahyalı行きのバスを待っていた。そのカイセリはすごく大きな都市だ。ただ観光地ではまったくないようで、カッパドキアで度々見かけていた外国人旅行客の姿は目にしないし、英語も話せるひともあまりいない。そこからさらに田舎へと向かう。

オトガルのバスターミナルでは「イスタンブール?アンカラ?」としつこく行き先を問うてくるバスの客引きに、「Yahyalı」だと答えるとすこし訝しげな表情をしつつも、大きいほうではなくて地方へ出る小さいほうの建物を案内してくれた。そこでチケットを10TL(450)円で買う。ここから南へ100キロ、1時間半程度で着くという。

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カイセリのオトガル。すごく大きい。けれど、Yahyalı行のバスチケットを取り扱う建物はこの隣の小さい建物だった

やってきたバスに乗る。当たり前だけれど僕の周りはトルコ人しかいない。そして、発車直前に慌ててひとりのトルコ人の青年が乗り込んできた。彼はそのまま僕の隣に座る。「日本人?」と英語で訊かれ、しばらく会話をした。彼の名前はOguzhan(オグサン)で、23歳、いまは仕事で休暇を貰ってYahyalıの実家へと帰る途中であるという。彼は「多い」という表現をするときはすべて”too much”という英語を使った。繰り返される”too much”をききながら、これは単なる誤用ではなくて、すべてのものは「多すぎる」という彼なりの哲学なのかもしれないな、とどうでもいいことをぼんやりと思いつつ彼の話に耳を傾ける。

彼は日本人はすきだ、と言っていた。そして韓国人やアメリカ人はきらいだ、とも言った。理由を尋ねても、ただなんとなく、としか言わない。単なるイメージだろうか。だけれど、トルコを旅していて改めて日本人でよかった、と何度も思った。「日本人であること」をすこしだけ誇らしげに思えるくらい、いろんなところでほかの国の人間でなく日本人であることのメリットを享受する。トルコは親日国という俗説があるが、本当にそれは同意である。他国では東アジア系の顔をみたら「中国人?韓国人?」ときかれるのが先行することも多いけれど、トルコに至っては必ずやまず始めに「日本人?」と尋ねられる。彼もまたそうだった。

オグサンといろいろな話をするうち「そもそもなんでYahyalıへ行きたいんだ」と問われる。そこで僕はすかさずオルハンに書いてもらったトルコ語の文章を彼に見せた。それまで何人かに見せていたのだけれど、その彼らと同じように面白そうにしげしげと眺め、彼はひとこと、”I can help you”.

まじですか。あっという間に目標達成の兆しが見えてきた。彼の家の近所に住む知人がいままさに羊飼いをやっているとのこと。彼自身も昔すこしだけやったことがあるということ。おそらく頼めば仕事を手伝うことはできるし、寝床も食事も提供してくれるだろうということ。ただし羊飼いの仕事はかなりキツく、だれひとり英語が喋れる人間がいない。そんな話を聞きながらさらに僕の願望が具体化してきたことを実感する反面、また同時に2割くらいの嫌疑も常に消えることがなかった。もしかしてだまされているんじゃないだろうか。

基本的には自由奔放にのらりくらりと旅をしているのだけれど、一応は海外をひとりで旅するリテラシーというものも持ち合わせていなければならない。それはまずひとを疑うということかもしれない。確かに気持ちいい話ではない、本当に親切心で声をかけてくれるひともいるだろう。ただ、実際に親切を騙ったトラブルというものの存在を知っているからこそ、自らの保身とか旅自体を楽しむためには純粋にそこは気をつけないといけないと思っている。すべてを疑って拒絶したらば旅を愉しむことはできない、けれどすべてを許容するのでもまた危険だ。その判断はもちろん明らかな場合もあるけれど、大体が直感的なものであって、すごく微妙なところでやっている。他の旅に熟れてきているを見ていても大体はそう。いくら旅に慣れてきたとしても、そこはいつまでも気を抜いてはいけないところだしそこをきっちりやってこそのバックパッカーになりうる。完全に手放しで旅をするのではなく、それも含めてこそ「旅」なりうるわけで。仮に完全に疑っていてもやばくないところまでは着いていったりする、というのもひとつのスリリングな方法だけれどね。

ちなむと、僕がそれにあたって気をつけているのはとにかくトラブルのモデルケースを知るということ。地球の歩き方、なんかに書いてあるトラブルとか詐欺の手口とかは隅から隅まで読んでいるし、ひとからいろいろと話もきいている。実際に「あ、これってまさにあの手口じゃん」って話ながらそれとなく対処して何度かトラブルを切り抜けたこともある。

それで今回の場合は、モデルケースからは完全に外れているけれども、まああり得る話ではある。「日本人」だからこそ金品を持っているし、実際に手持ちの現金やらパソコンやらカメラやらやらすべて合わせたらそこそこ金にはなる。信じたいとは思いつつも、いまだに2割くらいは疑っていた。

ただ、オグサンと話をすすめてまたひとつ更に驚いたことがあった。カッパドキアのギョレエメにいるときにUFUK PENSIONのあとに泊まっていた、GULTEKIN HOTELのオーナーと高校時代の知人だという。聞き出すとどうやら知人だというのは確からしい。

何ていう偶然だろう。何の気なしにギョレメに居たときにたまたま話したホテルのオーナーが元羊飼いで、彼の地元のYahyalıという馴染みのない土地に向かうことに決め、そこに向かっている途中にたまたまバスの隣に座ってきた里帰り中の青年が英語を話すことができ、彼の知人が羊飼いをやっていて紹介できるという。しかも、その彼はまた違うギョレメで滞在したホテルのオーナーと知人だという。僕はこの時点で、彼を信じようとおもった。というより、運命的と形容してもいいかもしれないこの不思議な縁故を、導かれているかもしれない自分の旅そのものを信じたいとおもった。

Yahyalıに向かうバス、その車窓からまたも広大なトルコの土地を眺めてオグサンと会話をする傍ら、導かれている旅の道中、ひとり静かな高揚感を噛み締める。これほど豊かなことってたぶんそこまで多くない。

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すこしウトウトして目覚めたら既にYahyalıに着いていた。周りは小高い丘に囲まれて端から端まで歩けないこともない距離感のなかにある、人口20,000人程度のちいさな町。帰郷したオグサンは「本当にこの町が好きなんだ、本当に美しくて」と目を細める。

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オグサン。僕が撮った記憶はないのだけどメモリーカードのなかにはいってた。彼がひとりで映っている写真がこれしかなかった(笑)目を細めている図ということにしておいて。

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町のいちばんの中心部がこんな感じ。ゆかりもないひとにとっては変哲もないただのトルコの風景かもしれないけれど、たぶん故郷ってだれにとってもそういうものなんだろう、きっと。

とりあえずオグサンがその羊飼いの知人とコンタクトを取ってくれるらしく、そのあと確認をとるまえまでは「家に来い」と言ってくれた。彼の帰省を待つ家族がいるらしい、僕のことは確認まだ取ってないけどたぶん大丈夫、と。とにかくここは信じてオグサンについていくことにした。

オグサンの家に向かうまでの間の間に、地元の少年たちが大きな荷物を背負ったアジア人の僕が珍しいらしく、そこら中から近寄ってきて「Japon!!Japon!!」とからかってくる。町の大人たちも好奇の目で僕を見る。外国人が、ましてや日本人がやってくることなんて本当にそうそうないんだろう、数えるくらいかもしれない。この少年は日本人を初めてみたのかもしれない。他の場所・国でもそれに類することはあったけれど、ここまでの経験は初めてかも、と思いながらオグサンのあとを歩く。

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彼の家に着く。目の前で久々に帰郷した息子を抱きしめる母親、そして彼は事情を説明する。母親は頷いて、すぐ笑顔でいらっしゃいらしきことを呟いて僕も抱擁してくれた。拙いトルコ語で名乗る。そしてオグサンがひとりひとり家族を紹介してくれる。父はそのとき不在だったのだけれど、母と姉と妹と弟の6人家族で、オグサンは長男。唯一大学をも出ているらしく、英語も喋れて都市部に出て仕事をしている彼はどうやら一家の期待を一身に背負っているらしい。この家族、不自由な暮らしはしているようではないけれど、かといってけして裕福なわけじゃない。そんななかで僕をも暖かく迎えてくれる。

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オグサンの実家。裕福とは言えないかもしれないけれどそれはさしたる問題でもないのかもしれないと思ってしまう

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弟のアキフは9歳。笑顔が素敵。畑で取れたブドウをたくさんくれた。兄としばしば取っ組み合いをしていて、ああ僕も男の兄弟ほしかったなあってすごく羨ましくおもったりする。

部屋に入って荷物を下ろす、途端にオグサンの母ちゃんは「何か飲む?おなか減った?ゆっくりしていってね」と息子を介して僕とコミュニケーションする。何の通告もなかった、それなのにどうして僕みたいな突拍子もなく現れた異邦人にかほどまで手厚く歓迎してくれるのかって思うくらい家族はあたたかくしてくれる。数時間前にオグサンに嫌疑の気持ちを抱いていたのが申し訳なくなるくらいそんなことを忘れて僕も心を開いていた。羊飼いになれなくたってもここに来ただけでよかった、と思えるくらい。

チャイを飲んで、ご飯を食べているとオグサンに「町へ行こう」と言われついてゆくことに。本当に小さな町で、すこし歩くだけで何人ものオグサンの友人と会う、ひさびさの彼の帰郷にひとしきり喜んでから僕の紹介をしてもらう。こんにちは、はじめまして。こんな地元はすてきだと思う。

そのままなぜかオグサンの親戚回りにも着いていかされる。おばあちゃん、おじいちゃん、おじさん、おばさん、いとこ、めまぐるしく彼の親族に会う。それぞれが警察官であったり、町医者であったりと地元でそれなりに活躍しているらしい。どこへいってもその庭になっているブドウを厭というほど食わされる。種を出していたら怪訝な顔をされる。そんなひとは初めてみたよっていわれた。

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彼のおばあちゃんと。彼は自身の肌の黒さを気に病んでいたりしたけれどなかなか好青年です。

夜も暮れてきたところで「やっと帰れる」と思いきや、彼の父にも会いにいくという。そういえば家にいなかったしまだ挨拶していない。「ちなみに父ちゃんは何の仕事してるの?」と尋ねたらば「リトルギャングだよ」と彼は朗らかに言う。どうやらあながち冗談でもないらしい。ちょっと待てリトルとはいえギャングってなんだギャングって。恐々とする。

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彼の父ちゃんのGaripと対面。左のダンディで強面のおじさんです、なるほど確かに容貌からしてもギャングと言われても頷ける。どうやら彼を含めた男友達は、ほかの多くのトルコ人オッサンがするように、右の破顔一笑の素敵なおじさんが経営するカフェに類する「オケ」の雀荘のようなものに通い詰めているらしかった。このあとも彼がここにいるところ以外、仕事をしているところとかも見なかったのだけれど結局最後まで本当にどうやって生計を立てているのかさっぱり分からなかった。

始めはびくついていたけれど父ちゃんも本当に歓迎してくれて、いらっしゃいとチャイを飲まされたあと(おいしい)、お酒、エフェスビールを勧められる。ただ、雀荘では法律で飲酒喫煙が禁止されているらしくもしちょくちょく巡回にくる警察に見つかったら1000TL(4万5000円)の罰金だという。1000TLって…。「気にせずに飲めガハハハ」と彼は笑うけれどそんなん怖くて飲めませんがな。

父の友人にもたくさん挨拶させられ疲れてきたところで、オグサンと2人でやっと家に戻る。あたりはもう完全に暗くなっている。羊飼いの件は、オグサンが電話でその羊飼いの知人に相談してくれて、どうやら承諾してもらったらしい。ただ「今日はもう遅いから、明日以降のほうがいいよ。とりあえずうちに泊まりなよ」。ということで、バスでその日に知り合った青年の家にその夜は泊まることになった。

実は昨日がオグサンの誕生日だったらしく。その夜、誕生日祝いの意味も込めて(オグサンは僕のためだと言ってくれたけれど)、オグサンの家の屋上で簡単なパーティが開かれた。近所のオバサマたちやその子どもたちも呼んでみんなで円になり、畑で取れたトウモロコシを焼いて頂く。すごくおいしい。

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そこではだれもが幸福そうだった。半日オグサンと共に地元を回っていろいろなひとに会う。たしかに彼の家も父がギャングとはいえすごく裕福だというわけではいし村自体もけして大きいわけではないけれど、彼の母は近所のママたちとママ会のような感じで道ばたでご飯をつくり、一緒に洗濯をし、話をしている。父たちは雀荘に集まる。子どもたちはその中を奔放なまでに駆け巡る。その小さな地縁的コミュニティのなかでまさしく彼らは共存し、幸福になっている。都会や観光地ではあまり感じられなかった村社会の有り様をみる。彼らは僕のように学生でさえも世界を旅する日本人を羨ましく思ったかもしれないが、また同様に僕は彼らのことを羨ましくも思う。そう思考を巡らせながら、僕のために用意してくれた布団のなかでこの巡り合わせに感謝し眠りについた。

あまりのベッドの心地よさにすこしばかり寝坊する。外ではもうオグサンの家族や近所さんたちが慌ただしく朝の仕事に取りかかっているらしい音がしている。そのまま朝ご飯を頂く、トルコよろしくエキメッキの朝ごはん。

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と共にパイらしきもの。名前を忘れてしまったんだけどすごくおいしい。というかそれよりもトマトの美味しさに僕はひたすら感動していた。トルコで残念だったのはドマテス(トマト)はどこもあまり美味しくなくて。ただこのトマトだけは格別においしくて訊いたらば自家製で今朝畑から取ってきたやつだったらしい。どうりで美味しいわけです。チャイを飲みながらエキメッキを口に運び、テーブルを皆で囲む。

この写真ではないのだけれど、このテーブルの下に風呂敷みたいなのが敷かれていて、それをどうするかというとその風呂敷の下にみんな足を入れて膝にかけて座っているのね。これは何でかなあと思っていたら、どうやらエキメッキのパンくずを床に落とさないようにするためらしい。確かにエキメッキ食べていると、パンのくずがぼろぼろと下に落ちていくのよね。それを食事が終わったら風呂敷ごとまとめて窓の外に投げ捨てる。くずは部屋には残らない。生活の知恵だなあと思ってひたすらに感動してた。なるほどとても合理的である。

それから彼らのところにいて気付いたのが、男女の役割の差がとてもハッキリしていた。男性のほうが上というか。母はもちろんずっと家事にいそしんでいるし、オグサンの姉も妹もずっとコキ使われていた。姉は25歳くらいかもしれないけれど、もう完全に母と主婦業をしていたし、オグサンが妹のヌリヂハーン(13歳くらいだけどエマ・ワトソンに似ていてかわいいので将来に期待である)にトマト食いたいチャイが飲みたいと言えば、たとえ遊んでいる途中でも彼女は兄の仰せの通りにさっと動く。逆にオグサンは休暇ということもあってずっと弟とダラダラしていて、父は先ほど同様ずっと雀荘びたり(働いているのか不明)。母はそんな夫に対して快く思っていないということは聞いたけれどすごく亭主関白だったと思うし、男女の平等性という意味では遅れているのかもしれない。ただ僕は外来者だからそう思うのかもしれないけれど、それはそれでうまくいっているようにも見えた。

けっこうどうでもいいんだけど、オグサンには付き合っていた彼女がいたらしく、どうやらいわゆるメンヘラと呼ばれるようなひとらしく、本当に30分置きくらいに電話をかかってきて今なにやっているか問われ、それにきちんと答えて電話の度に”I love you”と伝えなければならないらしく。彼の哲学である”Too much”を用いて説明する彼はすごく辟易としていた。いやこれは僕もさすがにToo muchだと思う。愛の形もさまざまね。苦笑い。

そうこうしているうちに、じきにオグサンの知人の羊飼いに会いにゆく時間になってしまった。1日足らずの滞在だったけれど、オグサンの家族のたくさんの好意に囲まれてすごく幸せだった、何なら羊飼いをやらずにここでしばらく彼らと暮らすのもアリかもしれないと本気で考えたほどに。しかし旅は進んでゆく。僕は羊飼い、チョバンになるためにここへやってきたんだ、まだどうなっているのかぜんぜんわからないし実際できるのかも不明だけれど、とかくオグサンの家族とお別れを告げる。ありがとう。

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父ちゃんのGaripはいないけれど、そのほかの家族写真。右から二番目の13歳のヌリヂハーン、ほんと美人(うるさい)

オグサンに着いてきてもらって羊飼いの知人であるというメメットさんのもとへ向かう。彼はいまYahyalıの町で仕事をしているという。
_IGP5969わかりにくいけど右のチェーンソーを持った彼がメメットアービ(アービはトルコ語で目上の男性の敬称だと教えてもらった)。実際にチョバンが暮らしている集落はYahyalıからまた更に南に数十キロいったところにあるらしいけれど、こうしてYahyalıでも大工の仕事をして生計を立てているらしい。彼なんか雀荘とかも通わないんだろうな、たぶん。

仕事が終わった彼と初めましての挨拶。ただ彼は例によって英語がまったく喋れないし、彼もとても強面である。歓迎してくれているとオグサンは言うものの、迷惑なのかなと心配しつつもオグサンを介して話をする。寝床はある、食事も分け与えられるけれどお金は出せない。それは大丈夫。ただ羊飼いがやりたいだけなんだ。

それからすこし経った頃には、オグサンと抱き合って別れを伝えてからメメットアービのバイクの後ろに乗ってYahyalıから更に南下していた。風を切って山へ山へと向かう。徐々に期待に胸を膨らませて、あるいはメメットアービの体温を感じながら。辺りはただただ道の脇に黄色い丘が連なる。さらにしばらくバイクを走らせると、風を切る音の向こうから突如として大量の鐘の音が聞こえてくる。咄嗟に僕は視線を向ける。

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羊だ。羊がいる。白いのは羊で、黒いのはヤギらしい。数えきれない羊やヤギたちがその黄色い丘を連なって移動している、首に下げた鐘をならしながら。カランカラン、あの音を耳にしただけで僕は虜になる。羊飼い、チョバン、よくわからないままに、導かれるままに、ここまで来てしまったらしい。チョバンになる。チョバンの生活が始まるかもしれない。地名すらも存在しない、トルコの荒涼とした丘のなかでうるさいほどの羊の鐘の音を聞いて、僕はこれから始まる日々に途方もないワクワクを見出していた。

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