トルコで僕は羊飼いになった – 中篇 – (トルコ旅2012その5)

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なにかに導かれるように偶然(『トルコで僕は羊飼いになった – 前篇 -(トルコ旅2012その4)』)が重なって辿り着いたのは、ゲルだった。予想以上にゲルだった。これ教科書とかで見たことあるやつだ。カイセリから南に100キロに位置する田舎町、Yahyaliからまたさらになにもない丘の間を走る道路にバイクで数十分走らせ辿り着いた小さな集落。写真に映っているのがほぼ全域で、もちろん、地名なんてものはないし、移動式住居のゲルよろしくそのときどきで住む場所を変えているのかもしれない。何てったって土地ならば四方に山ほどある。住所不定羊飼い。そこでは5つくらいの家族があって、老若男女20人程度暮らしているようだった。このときはああ僕もここで寝泊まりして暮らすのかあ、と高揚感に包まれていたのだけれど、その考えが甘かったことはこのときの僕はまだ知らない。

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着いた瞬間から子どもたちは早速寄ってきて「チェキ!チェキ!(写真)」と行って僕に写真を撮らせまくる。観光地だったらばカメラを提げた旅行者は珍しくないのだろうけれど、きっとここでは。左にいるのがイブラヒム、右がセルカン。このパチンコ、やたら飛んですっげえんだ。

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右の強面のおじさんが僕をここまで連れてきてくれたメメットアービです。そして左が妻のアイシェ。僕は主に彼女の家庭でお世話になる。バックパックの荷物を置いて、さあ腰を据えてここでの生活がスタートする。

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彼女はメメットアービとアイシェの間の娘、エルバ。5歳だったっけ。とてもかわいい。すごくかわいい。

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そして彼が、カーディールといって、僕の羊飼いの師匠になるひとである。イブラヒムやセルカンに唆されてカメラを彼に向けるとすこし恥ずかしそうにはにかみながら顔を向けてくれる。自己紹介をする。日本人で、トルコを旅している、羊飼いがやりたくてここまできて、よろしく。そんなことを伝えようと思っても、拙いトルコ語ではなにも云えない。途方もなくなって僕もとりあえずはにかんで、握手する。よろしく。

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さっそくオバちゃんたちが囲む輪に混ぜてもらって同じく皆目わからないトルコ語を聞き流しながら、兎にも角にもはにかんでいると、その場で煮込んでいたヤギ乳バターをつけたエキメッキをもらった。これがおそろしくうまい。ああ、こんなにヤギのバターっておいしかったっけ。喜んでエキメッキを口に運ぶ。食とかどうなってるんだろうという一抹の不安も、この途方もなく美味いバターとの邂逅により吹き飛んだ。衣はともかくとして、食住の目下の問題がどうにかなれば、あとはなるようになればいい。

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ヤギ乳バターをつけたエキメッキをかじりながら馬に乗って子どもたちと写真を撮ったりして遊ぶ。とウカウカしていたら早速「ちょっと山へいくから荷物をまとめて」と、山のほうへと赴くことになった。「ジャケット持ってる?」と訊かれる。そんな大層なものは持っていなかったので上着を貸し出してもらう。こんなに暖かいのに要らないじゃん、そんなことを呑気に思っていた僕はやはりまだ甘かったらしいのだけれど。

慌てて荷物を纏めた僕はメメットアービのバイクの後ろにまた飛び乗ってその集落からさらに離れたところへと移動する。遠くのほうで風力発電所がみえることを除けば、あとはただただ地面が続くのみだ。しばらくいくと、たちまち多数のカランカランという鐘の音が地鳴りのように聞こえてきた。次の瞬間、羊たちが群がってバケツに積まれた水を飲んでいる光景が目に飛び込んでくる。たぶん数百匹の単位でいるのではないだろうか。そして、それを見下ろすようにちかくの岩に腰掛けて、カーディールが巻きタバコを吸いながら一息ついている。

「じゃあ、よろしく」とメメットアービはカーディールに一言告げてから、彼は僕を残してバイクで走り去ってしまった。カーディールは僕に微笑みかけながら何か言い、ぽんと1mくらいの木の棒を渡してきた。「さていくぞ」とカーディールは立ち上がり、周囲でまだ必死に水樽に首を突っ込んで飲んでいる羊たちを棒で叩き始めた。叩かれた羊はビクっとして水を飲む時間が終わったことを悟り、おもむろに移動を始める。

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羊たちはゆっくりと移動をしながら、荒涼とした大地に微かに生えてきている草をひたすらに食むと同時に、尻から丸い小さなフンを出し続ける。ただただ食べてただただフンをする。そして、彼らは単独では動けない。群れでなければ移動ができないはずなのに、察しの悪いいくつかの羊たちは群れが移動したことも知らずに黙々と草を食み続けている。

僕たちチョバンこと羊飼いは、そんな羊たちの群れの先頭の方向性をある程度決めながら、口笛を吹くなり叫ぶなりで声を出して脅かしたり、棒で叩くなり、蹴るなり、石を投げるなりして何とか群れをまとめ、羊やヤギたちを取りこぼさないようにする。群れから遅れていると気付いた鈍感な羊たちは、鐘のなるほうへ、群れのいる方へと慌てて駆けていく(ノータッチのまましばらく放置すると、群れが遥か彼方にいってしまっているのに気付かずひたすら草を食み続けている羊がいる。群れから離れすぎると、かなり群れに戻すのが難しい)。

たぶんそんなところが羊飼いの仕事である。イメージとしては羊の群れをまとめる犬、みたいな感じなんだと思う。「あれ?じゃあ犬は?」というのは僕もすごく思った。あたりを見回すと、犬を発見したことはしたのだけれど、木陰でただただ地面にへばって眠っている。ここへと来る前に「犬は危険だから気をつけろ」とにいわれたのを思い出した。怠惰を極めてはいてもやっぱり恐い犬を僕が叱咤することなんかできるはずもなく、ただただ横目にその存在を捉えながら本来犬がやっているはずの羊をまとめる仕事に従事する。

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これが、これが僕のやりたかったことだ、と僕は興奮していた。カーディールからトルコ語で指示されたり、時折怒鳴られたりもする。なにをいっているのかはよくわからない。けれど、何とか状況から判断する。あっちで留まっているあの羊たちを連れてこい。そこにある柵から出てる羊たちを戻してこい。車道に羊が出ないようにしてこい。馬の面倒をちょっと見てて。見よう見真似でやる。彼のように、大きな声で「オーホー!」と叫ぶと彼はニヤリと笑って褒めてくれる。彼に褒められたいがために、僕はキビキビと仕事をやれるように努める。ちゃんと認めてもらえるように。短期間とはいえど、僕は彼に弟子入りしたんだ(と、少なくとも僕は思い込む)。

叫んだり棒で叩きまくっているのにまったく動こうとしない羊たちに悪戦苦闘している僕の姿をみると、カーディールはゆっくりとこちらへ歩み寄ってきて、ものの数突きで羊たちはたちまち群れへと合流する。すごい。さすが師匠だ、と僕は感動しながらカーディールに遅れまいと着いていく。カーディールはずっと、同じメロディを口笛で吹いている。それが頭から離れなくなって、僕も気付くとおなじメロディを辿っていた。そのメロディは、いまでもずっと、憶えている。

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羊たちの行進はとてもゆっくりで、群れが動くのもかなりのんびりとしている。ときどきカーディールは地面に座り込んで、袋からタバコの葉っぱをつまみ出して、慣れた手つきでそれを紙に巻いて火をつけて吸う。1日に何度その時間があったかわからない、いったい彼は何本吸っているんだろう。でもそれほどタバコの似合う光景というのを、僕は映画のなか以外で見たことがなかった。素敵なお爺さんだ。ずっと昔に亡くなっているヘビースモーカーだった僕の祖父の姿と重なる。腰を上げて前を歩く彼の背中はすごく頼もしい。

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ただ、数時間歩き続けて漸くわかってきたのだけれど、どうやらこの仕事は想像以上にツラい。夕日はもう彼方に落ちて、急速に闇が空を包摂し始める(言いたいだけ)。いくら羊たちはゆっくり移動するとはいえど、起伏の激しく岩みたいなのが転がっている丘を羊と一緒にひたすらに歩き続けなければいけない。辺りが完全に暗くなってからの、夜の山歩きはさらにたいへんだ。たまたま持っていた100均の懐中電灯を照らして、遠くの方で羊たちが取り残されていないか確認しながら、場合によってはそこまで追いかけながら、悪い足場をひたすら足をすすめる。

丘にはやたらトゲトゲとした植物があちらこちらに生えていて(名前をきいたのだけど忘れてしまった)、昼間のときから靴越しで足に刺さってきてかなり痛い。ずっと注意して避けていたものの、暗くなってからはさらに避けるのがむずかしい。丘をあるくのも山歩きほどではなくてもコツみたいなものがあるようで、くるぶしまでしかない革靴を履いているカーディールはそんなことものともせず、僕が痛みを訴えても「ああそれね」という涼しい顔で流されてしまった。半日足らずで僕のトレッキングシューズはいつのまにか植物が刺さりまくり、ボロボロになっている。しかもくさい。勘弁してほしいものです。ひたすらに「いつになったら終わるのだろう?どこまで連れて行くんだろう?小屋とかにいれるんだよね?」みたいな疑問が絶えず頭のなかをぐるぐるする。苦痛と疲労とで困憊しはじめている。

時計も持っていない。何時間あるいたかわからない。心が折れそうになってきた矢先、唐突にも羊たちが足を折り畳んで休み始めた。カーディールはその間ずっと荷物運びをしていた馬(とくに気にもかけていなかったのに、最初からずっと群れに着いてきていたらしい。賢い)を呼び寄せてから荷物を降ろし馬を留めて、落ちていた木の棒を集めて地面に腰を下ろした。火を焚き始める。そのときになってようやく、「あ、帰らないでここで夜を明かすのか」という懸念が確信に変わる。それならば逆に覚悟がつく。

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焚き火をして、ヤカンを取り出してそこに水と、おそらくチャイの葉っぱをいれる。ここでもチャイを飲むの、と尋ねてみたら、カーディールは「羊飼いの暮らしにはチャイは欠かせないよね」と言って笑った。こうしてたまに見せる彼の笑顔がたまらない。彼はそのままエキメッキを出して、肉や野菜を出して焚き火に放り投げてまさしく直火焼きをする。ようやく訪れた食事の時間。僕はエキメッキを頬張りながらポケット辞書を取り出して、火の明かりでどうにか読み取って彼との会話を試みる。彼は日本についての質問を投げかけてくる。日本の人口は何人いるのか。ええと…1億人くらいかな。それはみんな日本人なのか。うん、そうだよ。日本ってどこにあるのか。ええと…。

数時間前までは「メルハバ!」に毛が生えた程度の会話しか出来なかったのにも関わらず、いつのまにか辞書の力とはいえど彼とどうにかして意思疎通をしている自分がいる。人間、やっぱりなんとかなるものである。

カーディール、彼の年齢は(おそらく)65歳と言っていた。いつもいつも、子どもの頃から羊飼いで、数年数十年のあいだたったひとりで毎晩、丘に出て、羊たちを歩かせる。巻きタバコを吸いながら目を細めて、彼にとってはたぶん代わり映えのない毎日をどうにかして消費している。僕らは簡単に他者の異なる環境に憧れる。でも僕はあくまで外来者にすぎない。羊飼いの暮らしにいくら憧れても、それで一生を捧げてここに骨を埋めることなんてたぶんできないだろう。

それでも、それでも圧倒的にここでの生活は素晴らしいと思わされてしまうような夜空が、頭上には広がっていた。燦然と輝く途方もないほど数の星たちをいっぱいに湛えて。かほどまで美しい満天の星空を僕はいままでみたことがあっただろうか、見えすぎるほど見えてしまっている。その空のせいで僕は必要以上に感傷的になる。空にはこれだけの数の星が浮かんでいたことに僕はずっと気付かないまま生きてきて、ここでこうしてそれこそ「アルケミスト」のように何かに導かれてこの星空を眺めることになったのだ。なにか一つでも選択がちがえば、タイミングが違えば、この丘で羊たちやカーディールと共に羊飼いとしてここにいるはずはなかった。どうしてかくも豊かなのだろう。羊の毛からつくられた毛布に包まりつつも急速に冷えきってゆく空気にうちふるえ、鎮まってゆく焚き火の煙に辟易とし、ときおり羊の鐘の音を耳で確認しながら、僕は眠りに落ちる。流れ星がいくつも流れていた、羊飼いの夜。

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