料理すごい楽しい(自炊とクックパッドの話)

料理すごい楽しい(自炊とクックパッドの話)料理すごい楽しい(二回言う)。

簡単に言うと、2月中旬から自動車免許合宿で山形の雪国のなかで、アパートメントに一人暮らしで自炊をしていた。修行あるいはそれに類する何かのために。だからまさしく今回のコンセプトは「ひとりで生きる」。たぶん自動車のはなしはもしかしたら他で書くかもしれないけど、とにかく僕はひたすら沈黙を貫いて、ソーシャルメディアなんかの社会の不特定多数と繋がるツールをも遮断して、周囲が新しい友達を雪だるま式に増やしていくなかで自分のなかに閉じこもろうとしていた。それはそれですごくよかった。そしてそのなかのよかったことのひとつが件の料理。すごい楽しい(三回目)。

実家で家族と暮らしていて夜家に帰ったら残り物だろうが手作り料理が有り難いことに待ち構えていた僕にとって、この四半世紀にも満たない人生のなかで料理と呼べるものはあまりきちんとやってこなかったに等しい。いや幾度かやろうと試みたけれど、けっきょくひとの手を借りて辛うじてカレーライスをつくるくらいが関の山だった。お菓子作りなんかもチョコマカロンを大量に食べたくなって卵6個くらい割ったのはいいもののまったく泡立たずに巨大なボウルにまるまるのプリンをでかでかと冷蔵庫のなかに腐らせるまで放置するようなこともあった気がする。ただ巷で言われる料理男子とか女子力云々とか以前に、自分で料理つくれたらいいじゃないですか。どこでも好きなように生きていける感じがあって。で、この際だからとおもって自炊プランのキッチン付きのひとり部屋への合宿を選んで2週間と数日の間はひとりで料理をガンバってみた。

あ、一応注意しておくとここらでお分かりのように、僕のいう「料理楽しい」は素人に毛が生えたレベルの「料理楽しい」なわけなので、もうほんと生暖かい目で見守ってください。川越シェフの熱烈ファンのオバサマたちとかよくわからないけどごめんなさい。よくわからない。

たぶん僕がいままで料理に対して途方に暮れていたのは、「適量」という言葉の意味のわからなさだったと思う。「適量」・・・?どれくらいが適している量かなんて皆目わからない。二十年くらい主婦をやっている母でさえも訊いてもそんな分量なんて分からない適当だ、なんてことを言ってくる。その言葉を前に途方に暮れてやっていられるかいと思って自発的に料理なんてものがしたくなってくる。

今回ちょっとだけ料理を始めて、ああ本当に適量っていうのは適量なんだなって気付いた。すごい今更のはなしかもしれない。でもそれにようやく気付いてからは早い。何だかある程度外枠さえ分かれば何でもつくれるようになってくる気がする。あとはある程度の材料に応じた方法論とかを経験積むなかで覚えていけばいいだけじゃん。タマネギの苦みをなくすとかそういう細かいことをやっていきながら。なんだよ簡単じゃん。

もちろん料理本に出てくるようなステキな栄養バランスも見た目も整えられたレシピをつくるのだったらば話はきっと違うはずだ。吉本ばななの「キッチン」でもみかげさんがそんなことを言っていた気がする。でも自分ひとりが食べるんだったらそれなりに美味しく食べれればなんでもいい。とりあえずは見た目だってべつに気にしない。ああ何て気楽なんでしょう。そんな心持ちでええい入れてしまえ!みたくいろいろと冒険してみたり、ひとつのレシピに対する方法論をそのまま転用できるのでは?みたいなことをふっと思いついてそのままやってみたりとかもできちゃうんだなって思った。たまに外れるけど。うわ!とてもじゃないけど食えたもんじゃない!でも食べるのは自分だけだ。ぜんぜんかまわない。

僕なんかはまだまだ駆け出しだけれど、そうなってくるとたちまち「創作」の意味を帯びてくる。クリエーションなのである。「適量」の加減を理解することで創作性が生じてきた。それでも基本的に毎日食べないと腹がへる、だからこそ料理は毎日しなくてはいけない。必然的に「料理をする」という創作の分野に掛ける時間が、一日のなかで必ず担保される。僕の24時間の遣い方としてそのカテゴリーに属するものはいままでまるっきり存在していなかったから、日常のなかにメリハリがつく気がしてとてもその他の時間も効率的にすごせる。確かに面倒なこともある、遅くに帰ってきて腹はぺこぺこなのにも関わらずなにかしらつくらなければその欲求を満たすことができない。カップ麺に逃げてしまう一人暮らしの若者が多いのもわかる。でもいざそれを割り切って腹を満たすのには労働が必要なんだと思い込んでしまうとあまり苦ではなくなる。むしろ逆にさらに楽しくなってくる。さあ腹が減っているからなるべく早く食べたいから早くつくれるものを。じりじり。これはあるいはマゾヒズムかもしれない。

料理という創作が他と異なるのは、必要性に生じて行なわれるということである。成果物が数時間と掛からずにできて、それを自ら消費できその出来を確かめられる。一日のなかで、ひとつの時間の区切りのなかで完結する創作。それが毎日続いていく。昨日はなにを食べた、今日はちょっとあれを食べたい気がする。そういえば具材であれが余ってたな。今日スーパーであれが安売りしてるから買ってしまった。そんな要素たちによって材料は相対的に決まるからゼロから作り出すほど苦心するわけでもない。意外と手に持っている駒たちを動かせば何とかなってしまう気楽さも持ち合わせている。タマネギとジャガイモと肉さえあれば何かしらつくれそうな気がしてくる。なにも思いつかなかったら「タマネギ じゃがいも 肉」とiPhoneをひらいてクックパッドの検索窓に打ち込めばいい。

たぶん全国の料理をするひとにとって「今更?」と怪訝な顔をして問われることになるのだろうけれど、クックパッドもやばい。クックパッドの有用性やばい。分厚い料理本も料理番組もいらないじゃん。iPhoneでアプリを指でチョイチョイとスクロールさせればもう欲しい情報が片手に収まっている、もう片方の手で炒め物なんかをしつつ。

そうして日々のなかで料理を何年何十年と続けている主婦を始めとする料理人にとってみたらいくらクリエーションとはいえ作業になってしまうことはあると思う。それは仕方ない。僕がこんなにも興奮しているのはただ初めたばかりだからというのが大きい、というのもわかっている。でもクックパッドというサービスはそんな料理を創作するという歓びを思い起こさせるような素晴らしい発表の場になっている。

毎日の事で作業になりがちな料理を、どうしたら楽しくなるだろうと考えた時に、二つの答えが挙がってきました。一つは、一生懸命作った料理は、食べると無くなってしまうので、成功した料理を記録しておけるアルバムを作ると良いと思ったのです。そして、もう一つ料理をして一番嬉しいのは、作った物を食べてもらって「おいしい」と言ってもらえる事です。しかし、毎日友達を呼んでおもてなしをするわけにもいきませんし、意外に自分が作った料理を評価してもらう場は少ないのです。そこで、この二つを実現するのは、インターネットだと思ったのです。自分が作った料理のレシピを書き、写真を撮ってアルバムにしてネットに載せると、それを見た他の人から「おいしかったよ」という嬉しい意見をもらえます。(佐野 陽光(クックパッド株式会社 代表執行役社長)| オフィスWatch こだわり・インタビュー)

もはやSNSだ。これは使っていて何回もそうおもった。しかも、ツイッターやフェイスブックなんかとはまた性質が違う。使っている層もちがう。インターネットを通じて料理をする層のひとたちが繋がって、料理がより楽しくなる。いちユーザとしてクックパッドを使ってみてありありと伝わってきたのだけれど、もういろんなユーザが楽しそうにクックパッドを毎日つかってる。だれかが投稿した料理に対して「つくれぽ」で「わたしもつくりました!卵を加えてみたらもっとおいしくなりました!」とほかの料理が実際にそのレシピでつくった料理を写真とともにアップロード、それに対してさらに返信がついて、それらが積み重なってレシピそのものも改良されていく。インターネットじゃないとこんなことはありえない。家庭のなかのひとりの主婦がおいしいハンバーグのつくりかたを編み出した、それは本来ならばせいぜいその主婦界隈のなかでシェアされていたにすぎない情報が、数千人、いやそれ以上かもしれない数のひとたちがおなじレシピでハンバーグをつくる、それにまた創作性を発揮して改良を加える。そんな数のフィードバックを得た主婦は嬉しくなってまたさらに料理に精を出す。ほかにもレシピをどんどんと投稿をする。

クックパッドを利用している524万人というのは日本の世帯数が約4900万世帯なので、10軒に1軒以上なんですよ。その辺のマンションを見た時にあの内の10軒に1軒はクックパッド使って家族を笑顔にしているのだなとか、30代ユーザーが約半数なので、幼稚園に子供をお迎えにきているお母さんの4人に1人位は本当に利用してくれていると実感できたりする。(佐野 陽光(クックパッド株式会社 代表執行役社長)| みんなの仕事場 インタビュー)

そんなひとたちがまたさらにさらにと増えていって、数百万人の規模でユーザを獲得する。アクティブユーザはいったいどのくらいなのかはよく分からないけれど、そうして料理がたのしくなってるひとたちがさらに料理をたのしくする場がたのしくないはずがない。SFC卒の佐野さんが立ち上げたクックパッドの会社は成功しているベンチャー企業としてよく取り上げられるけれど、実際に使ってみてはじめてわかった。これはたしかに成功といっていいくらいライフスタイルを変える可能性を秘めている。細かいところは言わないけれど、もちろんレスポンスの早さも含めいまのUIもすごく緻密に考え抜かれてつくられていて、システム的なところも十分すぎるしっかりとつくられている。使うにあたってストレスは一回も感じたことがない。

料理が楽しくなったのはやっぱりクックパッドのおかげかもしれない。僕以外にもきっとそんなひとはいるとおもう。そんなサービスをつくるのはとても素敵なことである。すくなくとも僕に関して言えば、彼らの理念を達成させてしまっているのだから。

それでこの間2週間とすこしの一人暮らし自炊生活にも終わりが訪れて、いま実家に戻っているのだけれど、母ちゃんの手料理のうまさに改めて感動すると共に、またひとに料理を振る舞うというのはべつの楽しさもあるんだろうなあとか思いつつ元の惰性の生活に戻るわけです。べつにやりたくないわけではないんだけど、なんだかやる気はしない。この料理へのモチベーションは2週間あまりの一人暮らしだからこそ発熱していたんだろう。またいつかひとりで暮らすやらそういう環境になったらきっとまたやる、というか必要性も生じるでしょうしやらなきゃいけないんだろう。そのときはクックパッドにもまたお世話になるはず。またよろしくおねがいします。


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