この部屋、わりと臭うね。

この部屋、わりと臭うね。日記は毎日紙に書いている。

小さなノート(だけれど300円近くする、表紙にフランス語が書いてあるシャレてるやつ)に、1日せいぜい6行か、7行程度。

ただ単に、事実とそれに付随した感情の羅列を文字に起こして、雑な字で一日を攫っている。

前からしたいと思ってたんだけど、ついにこれを最近はじめて、ああ、良いなって思った。

いつかきっと財産になる。掛け替えもない18歳の毎日が、その等身大の自分がまた振り返って見れるんだと思って。

去年の冬に、タイとラオスに一人で旅をしたときも、紙に日記を書いた。

誰に見せるつもりもなく、ただ自分一人のために。

1日1頁、ただ単に、事実とそれに付随した感情の羅列が、非常に読みづらい文脈で紙上で踊ってるだけだ。

あれからもう1年が経とうとしてる。

けれど、それを開くと、ありありと情景を頭の中で再生できる。ありありと。

ああ、こんなこともあったな、そこでこう思ったな、ああ、ああって。

時々感情が高ぶって、居ても経っても居られなくなったりもする。嬉しいんだ。

「誰に見せるでもなく、ただ自分のために」

これが大事だと思ってる。

一時期はインターネットでやることも考えた。便利なものが溢れている時代。

キーボードを叩く方がペンを走らせるより遥かに楽だし、はやい。インターネットを走らせれば、自分から出てくるコンテンツの不足を補うこともできる。

でも、それはずるい。いくら自分のためとはいっても、インターネットに発信していくという以上「見られること」も意識しないわけがない。どこか背伸びをしていないか。色を塗っていないか。

絶対にしてしまう。現にしているだろう。「見られること」を意識して表現を行うのもたしかに大切だ。だけれど、自分の中で、ただ今の自分を映すことができるのはインターネットでは、人とみている場所では無理なんじゃないか。

それは自分であってきっと自分じゃない。自分以上の何かだ。良い顔を向けようとしているだけだ。以上なのか。それはわからない。すくなくともそれは、自分そのものではない。自分ではない。

インターネットは楽しい。自分の部屋にいても、こうも他人とふれあえる。SNSを自然と開いてしまう。だれかが産み出したものを目でずっと追っている。耳で聞く。椅子に腰掛けて、暖かい部屋で、暖かいコーヒーを飲みながら。

なんて楽なんだ。ニートになってしまうのも頷ける。いや、これでお金だって稼げる。生活だってできる。繋がれる。なんて、なんて最高なんだ。まったく罪なツールだ。

本当に、罪なツールだ。

本当は、この部屋はこんなに広くはないはずだ。こんなに繋がれるわけがない。

この狭くて、散らかった部屋で。否。狭くて、散らかった部屋だからこそ。だからこそ、できることがある。それは一見、インターネットよりも面白くないように見える。実際に面白くないかもしれない。

だけど、否、だから、紙に日記を書いている。

瑣末だけれど、ペンを握って文を綴るのには労力がいる。手が疲れる。

この手の疲れが嬉しい。キーボードを叩く音じゃなくて、ペンが紙にぶつかる音が心地いい。ディスプレイで光る均整の取れた文字じゃなくて、他人には読めないような汚い字が格好いい。

他人がみたらなんてつまらない日記なんだ、と思うだろう。それでいい。むしろ面白くあってはいけない。他人が見てはいけない。

これは、デジタルもいいけど、アナログも忘れてはいけないよね、なんてそんな簡単なはなしじゃない。全くもって、ぜんぜん。


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