「日本の皆さん、僕は留学に行っています」という簡単な挨拶の文章

「日本の皆さん、僕は留学に行っています」という簡単な挨拶の文章「誰だって生活を変えるなんてことはありえないし、どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだ」。ムルソーは、昇進とパリへの移住を提案してきた上司に向かってさらりとそう答える。アルベール・カミュ『異邦人』の中の一節である。”On ne changeait jamais de vie, qu’en tous cas toutes se valaient.”(どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだ)。僕はこの文章を、フランスのマクドナルドの屋外席で、2ユーロの不味いコーヒーを飲みながら読んでいた。

8月末から、南仏のエクスアンプロヴァンスという街に、とりわけエクスアンプロヴァンス政治学院というところにバカンスもとい留学しにきています。海外在住経験のなかった僕にとってははじめての長期滞在で、はじめてのヨーロッパで、また親許を離れて長期間一人暮らしするのもはじめて。僕の所属する学部は留学が必須で、これはもとより決定事項だったのだけれど、ウカウカとしていたら何だかいつの間にか日本を発つことになり、こちらに到着してからすでに2週間余りが経過している。ふう。たとえそれが初めての経験であったとしても、初めての場所であったとしても、どこへ行ってもボンヤリとしていたらすぐに時間は過ぎ去ってゆく。どこにいたって変わらない。

海外における生活は、これまで20年間日本でやってきたそれとはがらりと変わる、と、いうのはたぶん噓だ。すくなくとも変わっているように見えるそれは、あくまでそう見えるだけであって、べつになんら本質は変わっていない。腹が減ったらなにか食うし、眠くなったら眠る。たとえば暇になれば出かけるし、夕日はどこでだってきれいだし、人々は言葉を掛け合っている。さらに言うならば、べつにどこにいたって個々の人々の行動規範になんら変化はない。われわれがなにに価値を感じて、どう行動をするか、というのは環境が違えど同種であろう。たぶんムルソーが言いたかったのはこういうことだと思う。あえて違いを述べるならば、やたらと鳩や暗い中庭が目についたり、街を行き交う人々がやたらと白い皮膚をしているのに気付いたり、そんな程度のものだ。そして、それすらも気付かせなくさせてしまう、というのが現代文明が成し遂げた最大の功績であって、また同時に怖いところでもある、と思う。

部屋に閉じこもって、コンピュータの前に座り、インターネットに繋げてひたすらディスプレイに向き合う。いつものようにTwitterで日本語でつぶやき、Facebookをチェックして友人の写真をにやにやしながら眺め、LINEで常に日本の友人たちと連絡を取り合い、Skypeで時たまビデオ通話をしたりする。日本のニュースはすべてインターネットメディアで消費し、日本語の本は電子書籍で、映画映像はこれまでしてきたように動画サイトを徘徊し続けて観る、いつもの音楽をiTunesから流しながら。買い物はAmazonで。クックパッドをみながら、だれかが投稿していた日本食を調理する。

これが世界中、インターネットさえあればどこででもできてしまう、というのはなんと便利で、すてきなことなのでしょう。もはや僕たちは違いに気付けない。気付く必要なんてないのだ、なにもかもを変わらないまま留めておけてしまえるのだから。それはそれでぜんぜんよい、僕らはすごい時代に生きている。かつてのそれとはぜんぜん違うんだろう。けれどたぶん、それは僕のしたいことではない。なんで僕はここにいまいるのだろう、それはたぶん違いに気付くためであって、違いに気付いてこそすれ、自分のいた地点がよりわかるようになる。

しかし、しかしだよ。上記のことは「留学にきてまで日本とそれなりにくっついてワーキャーやってたらよくないよねえ」論と何ら変わらないのでそれはいいとして、こちらに来てからそもそも「自分のいた地点」とは何だろうとよく考えます。あるいは、「いまいる地点」、「これからいるべき時点」なんかも。もうすこし砕いて話すと、僕は日本に生まれてこれまでの20年間日本で育ってきた、海外に何度か足を運んだことはあるけれども、それはあくまで「日本」という場所から旅に出て、その地へ帰ってゆくことも織り込み済みで海の外で歩みを進めていたに過ぎない。僕の思考言語は日本語であって、その他の言語での思考能力の質はやはりいまの段階では比べ物にならない。

僕は日本からの「断絶」を図り、そうした「ベース」を日本からなるたけ移す実験をしたいという密かな野望を抱いてこの地にやってきたわけだけれど(それがそもそも実際に試みられたかというのは置いておいて)、しかしあまりにも根を張りすぎている日本という地から、果たして僕は解放されることができるのだろうか、どう足掻いたって、日本という地から逃げることはできないのではないか、と近頃よく考えている。それも、日本語で。それはこちらにきてまだ間もないからそう思うだけなのかもしれないんだけども。

「日本がダメになったら日本を出ればいい」と簡単にひとは言うけれども、果たしていかなるかや。たしかに日本から出て行って、日本ではそんなに有名でなくとも海外でバリバリ活躍している人たちもたくさんいるのだろうけれど、それはその地で根を張ることに成功した場合だけだよねえ。ひとは他者からの承認がなければ自己を保ってゆけない、けれども、その「承認してくれる他者」はいまのところ僕にとって日本にしかいない。家族だってみな純粋な日本人である。仲のいい友人だってみな日本である。つまり、僕自身の表現の発露の方向性、矛先は日本にしかないわけで、僕はそこからの承認を受けたいという欲求がある、たぶん、すくなくともいまは。そもそも、「留学」自体も、日本に帰ること自体が決まっているわけで、この地ではしばしの間逗留するに過ぎない。ここで得た経験はすべて日本での暮らしに還元されるってことなのだろうな。「日本に留まらず世界で働きたい!」ってよくいうけど、「世界で働いている自分は格好いいので日本にいる「他者」はきっと承認してくれるだろう」という欲求が実は根っこにあると思うんだけど、どうなんだろう。そういう基盤から自らを切り離すことはできるの。そもそも切り離す意味はあるの。無理にする必要はない、というのが僕のいまなんとなく考えていることだけれど。

ホームシックになっているわけでもない、こちらでの生活はなかなか落ち着いてきて、ようやく「何ら変わらない生活」を手にし始めたのかなあ、というわけなのだけれど、「断絶」なんてものは果たして可能なるかや、という問い、僕はまだ確かな答えが出ていないので、こちらでの生活のなかで何となく答えを出せてゆければいいなあと思う。それにはおそらく「承認してくれる他者」、いわゆる友人ができたりだとか、そういう瑣末なことだってすごく影響するんだろうけれど、きっとたかが1年程度の暮らしでは20年培ったそれを凌駕する「基盤」なんてできるはずがないなあ、とも同時に思っている。すくなくとも僕の自己の発露先は日本語で書かれていて日本人しか読まないようなこのブログなわけですからね。そんな覚悟すらないってことなんだろうな。べつにそれはそれでいいんだけど、そこまで気概を背負ってやってきたわけじゃないし。なぜなら、僕の憧憬するムルソーだってどんな場合だって、生活というものは似たりよったりだっていってたし。という逃げの文面でこの文章は締めるね。おわり。


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