仏留学中の僕のフランス語能力の推移の様子をセキララに記録します(4ヶ月目)

仏留学中の僕のフランス語能力の推移の様子をセキララに記録します(4ヶ月目)_DSC3397-2

フランス、エクスアンプロヴァンスに8月末に交換留学としてやってきて、ヒイヒイといいながらフランス語の修得をどうにか試みるプロセスを纏めるシリーズ。少々間が空いてしまいましたが、今回はメモっていた4ヶ月目の様子を公開。これ以前の留学前のレベル、1ヶ月〜3ヶ月目の推移についてはこちらをご参照ください。(写真はフランス人なら誰しもが読んだことあるであろう、Jacques Prévertの”Paroles”より”Barbara”。プレヴェールの詩のなかで僕の好きな詩のひとつ。)

4ヶ月目(2013年12月)

さて、4ヶ月目。「なんだかんだ語彙じゃねーの」と認識した先月ですが、ボキャ貧から脱出するための地道な努力を開始しようと息巻いていたものの、日頃の怠惰もあいまって思うように取り組めず。代わりに、12月は学期末のテスト期間であったため、専ら授業の勉強をしておりました。とりわけ学期の頭は授業の理解に苦しんでおりましたが、かといって宿題が山のように出されたりというわけでもなく、普段の授業はあまり大変でもありません。ただ期末となるとそうもいかず、15ページのレポート提出があったり、1授業につき50やら100ページあったりする授業ノートを振り返ったりなど一応忙しそうにするハメにはなる。しかしやはり、この「手加減なしに修得言語で課題が降りかかってくる感じ」は交換留学ならではの点でしょうか。フランスにもやはり語学留学やらワーホリやらでやってきてる方々はたくさんいますし、もちろんそれは否定するつもりは毛頭ないけれども、それでも自律に難を憶える僕のような怠惰な人間などには、逆に交換留学はより適切な制度なのかもしれません。

というのも、高校時代、英語修得しようと試みていたとき以来、言語を修得するための近道は「修得言語においてキャパオーバーの体験を繰り返す」というのが持論だからです。もちろん自分のレベルに合ったペースで地道に勉強をし続けるというのも大事なのだろうけど、あるいは後者の方が結果的にプラスに働くこともある。すくなくとも僕には後者のやり方のほうが向いていると思っています。たとえば高校二年生夏、韓国にて国際カンファレンスのようなものがあり、テレビカメラが回りその他大量の聴衆がいるなかプレゼンテーションやら質疑応答やらをさせられたのですが、僕の英語は当時散々だったけれども、そういう体験がかなり後々きいてきたようにも思う。各国の代表がいる中で「日本人」として英語でロクなことが言えなかった、というのはかなり悔しかったのでその後の勉学のモチベーションにもなったし。

日本語ですら難しい概念の説明などを慣れぬ言語で試みる、それは確かにストレスフルだが、場数を踏んでゆくことで例えば二度目からは要点をつまんでうまく説明できるようになってゆく。そういうちいさな体験を積み重ねることで、結果的に言語全体のレベルも上昇してゆくのではないでしょうか。それはもちろん、母国語でも同じプロセスを辿っている。話がうまいひとって、思考の構造とかもあるとは思いますが、単に場数踏んでいるからうまいんですよねえ。僕は話すことに苦手意識があるのですが、「いろんな人に話している鉄板ネタ」は話せば話すほど、その度に聞き手の反応などを伺いながら、要所要所をうまくかいつまんでテンポよく話せるようになってくる。

外国語で初めて長い話をするのは敷居が高い。相手にうまく最後まで説明できる自信がない、どういえばいいのだろうなどとまごまごと考えてしまう。それでも、何かを難しい概念を説明しようとするときに、拙い言葉で無理やりでも伝えようとする意志を持って最後まで貫けば意外と伝わるものです。説明を開始しようとして「あ、これは言えねえわ」と自らリングを降りるのがいちばんよくない。それはコミュニケーション全体をもギクシャクさせてしまう。肌感覚にすぎませんが、日本人は比較的この傾向が強い気がする。使い古された言葉ですが、「間違いを恐れない」というのは、確かに正しいです。会話なんだったら間違ったってなんだっていいじゃない。間違えたって、話し続けてればなんとでもなるよ。話さなきゃ始まらないよ。(というのを文法が間違っていようが途中で詰まろうがフランス人相手にさえ話す隙間を与えないコロンビア人の姿勢から学びました。)

それから、この月は思考方法もすこし戦略を変えてみた。前回書いたように、先月までは日常の思考言語は基本フランス語で試みていましたが、言語能力の低さのせいで思考も深くまで潜っていけず、大きなストレスが溜まっていました。例えるならば、ヘミングウェイ『老人と海』における老人のような「現象⇒反応」の一方通行ですぐに止まってしまう低い次元の思考という感じでしょうか。簡単にいうと「腹減った」→「飯をつくろう」とか、「フランス語喋れない」→「悔しい」とか、そういうところで止まってしまう思考。それでも生きられることは生きられるけれども。しかし、この月は日本の友人が泊まりにきていたということもあって、思考言語を日本語に戻し、それらを逐一頭の中で素早くフランス語に翻訳するというプロセスに変えてみました。するといやはや、たちまち綺麗にストレス解消です。ストレスは、ですが。

もちろん会話などのなかでは日本語を介している暇はないのでフランス語で思考しているんだけれども、高度な概念を伝達するときはいつも、すでに日本語で持っているそれを借用します。ひとりでいるときはとりわけ、フランス語で思考しようと試みても、仮にできたとしても新しいイデアまで辿り着くことがかなり難しい。子どもの言語教育に関して、第二言語を幼少期から学ばさせることに反対し、まずは母国語で高い質で思考できるレベルを身につけさせるべきだと主張する方々がおりますが、たしかに半分は同意です。仮にバイリンガルでも肝となる第一言語において高い水準で思考できるレベルを持っていかないといけないですね。

この方法を取っていたからか、あるいはフランスにきて一定期間が経過したからかわかりませんが、4ヶ月目に関しては最初の3ヶ月に比べあまり仏語の上達を実感することはありませんでした。かと言って、スランプだなあとも思わなかった。英語学習時もこういうタイミングがありましたが、それはつまり仏語も初期段階を抜け一定レベルまで到達したという証左なのかもしれない。4ヶ月目でそう思えるのはいいのか悪いのかかよくわかりませんが、まあポジティブに捉えましょう。というわけで年を越す。

続く。


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1 Comments

  1. りな

    相談です。
    私は今フランスの高校に留学しています。私のフランス語レベルはとても低いので友達はみんな英語で話しかけてくるのです。私はフランス語の環境に身を置きたいのですが、生活はほとんど英語になってしまっています。日々英語が上達しているというおかしなことになっています。どうしたらいいでしょうか。私をみると彼らの思考は英語に切り替わってしまうみたいです。
    あとこのブログは役に立ちました^o^

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