高円寺ガード下ではもう鳴ることはない音楽

高円寺ガード下ではもう鳴ることはない音楽f012

訃報を知ったのは、1週間ほど前だった。彼は音楽家だった。2年半くらい前に初めて会ってから、たぶん数えるほどしか会ったことがない。だからあとのことは、正直あまりよく知らない。ただ音楽家であることだけはよく知っている。そんなひとの訃報を前に、筆を取ること自体が相応しいのかわからない。何かを言う権利があるのかわからない。向き合いかたがわからない。1週間前の日記の文章はぐちゃぐちゃで目も当てられない。

一度、高円寺のガード下で共演したことがある。いったいいつから、これまで幾度そうして彼は路上で音楽を鳴らしたのか僕は知らない。彼は不器用な生活をしていて、そうして時おり銭を稼いで日々生きていたことだけ、何となくわかっていた。出で立ちには興味はあったけれど、あまりに世界が違いすぎるような気がして、踏み込んだことはなかった。同い年だったのに、いつも敬語で話すべきなような気がしていた。ひとつ鮮明に憶えているのは、路上演奏のあと、その日稼いだ収入でビールを奢ってくれたことだ。彼は僕の名前を呼んで、「この程度だけど、ありがとう」とコンビニで買ったぬるい缶ビールを渡してくれた。なぜ生活に困窮しているひとが、才能も欠片もないベースの演奏をした、たいして仲良くもない僕に奢ってくれたのかよくわからなかった。僕は困惑しながらも心の底から感謝して、さらにぬるくなった不味いビールを飲み干した。

僕が日本を経つ前、かつて所属していたバンドのライブが終わったあと、下北沢の餃子の王将で朝までグダグダと過ごして、新宿のホームで別れを告げた。それが最後だった。もし生きていたとしても、それが最後だった可能性も大いにある。少なくとも、個人的に連絡を取ることはなかっただろう。だから、こんな文章を書いている自分は卑怯だな、とも思う。そんなに仲良くもなかった誰かの死に際して、こうして公開されている場所に書くのは、何かが間違っているんだろうな。書いたってなんにもならない。

それでも何か書こうと僕をついに奮い立たせたのは、彼の音楽だった。この1週間、彼のつくった音楽をよく聴いた。生前のときよりもより注意して聴いた。音楽を聴きながら、瞼裏に彼とのわずかな思い出を再生する。ふしぎな音楽だ。ざらざらとした手触りに、ところどころ尖った箇所があって、時々思わず手を引っ込めてしまう。「いい音楽」かどうか、正直、僕はわからない。けれど、僕は好きだった。ーーいま1分くらい、すべてを差し引いて「好き」とここで言えるかどうかいまいちど自分に問うてみた。そしてやっぱり、僕は好きだと答える。それと同じくらいどこかで彼のことも、好きだった。ビールを奢ってくれた、いい奴だった。

音楽家は格好いいな。どんなに歪でも、彼はこの世に何かをつくって、それを残していった。それはれっきとした歌だった。もう彼の声を生では聴けない。高円寺ガード下ではもう鳴らない。それでも僕たちは、僕でも、残された彼の音楽を聴いて、すくなからず想うことができる。面識のある同年代の訃報を受けたのは、僕の人生において初めてだ。彼が音楽家ではなかったら、歌っていなかったら、僕は彼のことをこんなに想うことはできなかっただろう。ささいなことまで、思い起こせなかっただろう。どう亡くなったのか知らない。どう生きていたのかもあまり知らない。でもいつまでもこうして、生き様を、置き土産を、受け取ることができる。

僕は音楽家にはなれない。詩人の最果タヒがいつも言っているような、自分が音楽家でないことへのコンプレックス。芸術家のなかでも、音楽家がいちばん格好いいと僕は信じてる。だから、彼が羨ましいと思う。本気で格好いいと思う。その格好よさが妬ましい。20歳の若さで死んだ音楽家。何気なく聞き流していた歌詞たちに、へんに意味を探し始めてしまうじゃないか。まったくずるい。僕は、彼のように格好よくはなれない。この先何年生きることになろうが、ずっと。

いつしか彼からもらったCDをかければ、いつでもきっと鮮やかに思い出せる。高円寺、不味いビール。長い髪、新宿のホーム。


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