雨が降り頻る八月のパリで

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これほど雨が降り続けていた8月のパリも珍しいのではないかと思う。多くのパリジャンはバカンスに旅立ち、代わりに観光客で溢れかえっている。不幸ながらにして残ることになったパリジャンは、その寒さのあまり秋冬用のコートを押し入れの奥から取り出して、嬉々としてパリを訪れている観光客たちも同様にブティックでセーターなどを買っているようだ。そんな8月のパリに、僕は観光客としてでもなく、かといってパリジャンでもなく、ほんのつかの間の滞在者としてフランス生活最後の1ヶ月を締めくろうとしていた。

とくになにもしなかった1ヶ月だった。凱旋門にもエッフェル塔にもモンパルナスタワーにも登っていないし、ノードルダム大聖堂にも立ち入ることはなかった。めぼしい観光地で言うならば、モンマルトルを散策しがてらサクレ・クール寺院へ行き、ヴェルサイユ宮殿まで遠出、墓地なんかを散歩して、あとはいくつかの美術館に通ったくらいである。ときたま僅かなパリに居る友人たちと食事を共にして、残りの日々は映画館に通うか泊まっているアパルトマンで寝ていた。ひとりでいるときは物価が高すぎるのであまりレストランに行く気にもならず、ときたま簡単な自炊する以外はマクドナルドやケバブを貪って、プカプカ煙草を吸って過ごした。静かな生活だった。

Gare d’Austerlitzのすぐ近く、5区と13区の境目あたりに拠点を構えることになった。タイへとバカンスに発った友人の友人のちいさな部屋をややあって一ヶ月借りることができたのである。1ヶ月、500ユーロ。パリの物価は高いなと改めて認識する。ただ、セーヌ川までは徒歩2分と掛からないし、メトロの5番線と10番線が通っている好立地だし、となりに警察署があったので治安の心配もない。強いて言うなら徒歩5分以内に映画館がなかったのが悔やまれるかな。建物内には古いフィルムによく出てくるような手動でドアを開けるエレベータが付いていて、住民とすれ違うと素っ気のない挨拶を交わす。部屋は中庭に面している窓はあるものの、奥まったところに位置していたので僕の部屋には日中でさえもあまり光が差し込まない。ただでさえ雨天曇天が続き厳しい寒さだったので、僕の生活リズムとやらも番狂わせに遭った。目が醒めても、いったい朝なのか昼なのか夕方なのか夜なのかもいまいちわからない。外に出るたび雨が降っていて、吐く息も白い。母からのメールにはかたや東京では記録的な猛暑が続いているということが書かれていて、なんだかへんな気分がした。H&Mで安いニット帽を買った。

「何もかもがいっけん美しくみえて、カメラを構えてもシャッターを切ろうという気にならないの」と東京への留学を終えパリへと戻ってきたフランス人は僕に言う。僕もおどろくほど写真を撮らなかった。カメラなんてけっきょくほとんど持ち歩かなかった。なぜだろう? わからない。写真なんか撮りたくない気分が続くことがある。あるいは観光客がそろって首から提げているカメラを見て、辟易としていたのかもしれない。へんな自意識とか、いろんなものが邪魔をして写真を撮るという行為とうまく向き合えない日々が続く。ブラッサイが撮ったパリの光景たちを思い出す。

パリは、規模で言うとかなり小さい街で、たとえばロンドンよりも小さいし、東京に比べるともっともっと小さい。エスカルゴとよくいわれる螺旋状に広がったパリ市内20区の広さは、山手線の内側よりもすこし広いくらいだそうだ。そこにあちこちに歴史が気怠く踞っている。かつてパリが世界の中心だったころの栄華の残滓がそこかしらにある。だが、汚い街だ。つくづくそう思う。「パリでは下を向いて歩いたらダメだ」と皮肉めいて言われるように、建築はたしかに美しいが、かつては白く輝いていたであろう大理石は薄汚れ、そこらじゅうに煙草の吸い殻が捨てられ、地下鉄は薄暗く、セーヌ川沿いは小便臭い。フランスでテレビを見ていたら、とりわけ日本人に見られる「パリ症候群」の話がされていた。なんでも、旅立つ前に思い描いていた理想的なパリの姿と、実際に踏み入れたパリの現実の姿の落差に絶望し、ほんとうに具合にわるくなってしまうケースが多々あるらしい。その患者専用の医者もいるとの噂である。馬鹿な話だが、まあ気持ちも判らなくもない。僕もパリ18区で殴られたことがある。汚いし、怖い街だ。どの大都市にも闇は存在するが、その闇の部分がより深いような気がする。

栄華をきわめたパリが没落を予感させる時代、いっぽう日本では高度経済成長を迎えた1960年代に遠藤周三が『留学』という本を書いている。3部の短編によって構成されて、第3部では60年代にパリへと留学にいった大学教授の卵の葛藤が重苦しく描かれている。

この巴里の家も路も石の集積だし、その石に一つ一つの長い長い歴史の重みがある。巴里にいることは、その重みをどう処理するかという生活の連続です。ぼくみたいに二年もいると、この重みと圧力が肉体にも心にも苦痛になってくるんです。(…)巴里に来る日本人には三つの型があるようですな。その重みを全く無視する連中と、その重みを小器用に猿真似する奴と、それからそんな器用さがないために僕みたいに轟沈してしまう人間と。(…)こんなつまらん小さな美術館一つ入っても、僕ら留学生は長い世紀にわたる大河の中に立たされてしまうんだ。(…)河そのものの本質と日本人の自分とを対決させなければ、この国に来た意味がなくなってしまう。

薄汚い現代社会に潜む闇と、重苦しい歴史の重圧と、美しい外観をしたパリの街並みは、混ぜ合わさって特異な空気感を醸し出している。アパルトマンの窓から降りしきる雨粒に目をやる。地下鉄に乗って居心地のわるい椅子に腰掛け、物乞いがやってくるのを眺めている。1杯2ユーロのカフェを飲みながら、片手に本を抱えて、手巻き煙草をふかす。飛び交うさまざまな異国の言語を聞き流しながら、セーヌ川沿いを散歩する。サンドウィッチを買って公園の芝生に腰を下ろしてぼうっとする。僕の意思とは関係のないところで、日々は横方向にずるずると滑っていってしまう。僕はその重みを無視しているんだろうか?それとも、知らぬ間に轟沈してゆく船に乗り合わせてるのだろうか?

パリ滞在最終日の夜、サンジェルマン・デ・プレからセーヌ川沿いを、シテ島を見ながらカルチエ・ラタンのほうに下っていく。なんだか冴えねえなあと思いつつ、たいていのパリの友人にはすでに別れを告げたので、ひとりで適当なケバブ屋にはいって、静かに搔き込む。腹を満たして、それでも、たぶん、僕はまたここへ来ることになるんだろう。どういう形かわからない。けれど、なぜかそういう確信めいた予感があるのを僕は発見していた。頽廃しつつある都市。けれど、暮らしとは往々にしてそういう場所から出発するんだろう。僕はそういうものにある意味恋をしてしまったのかもしれない。こうして1年間のフランスでの生活に一旦のピリオドが打たれた。

(2014年8月、パリにて撮影、iPad)


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