1年間の海外留学を終えて——フランスで諸諸と出合ったことについて

1年間の海外留学を終えて——フランスで諸諸と出合ったことについて018_17

かつての僕はなにを思っていただろうと思いを巡らすとき、ブログというメディアがあるのは非常に便利だ。日記もつけているので、もちろんそちらも参照することは多々あるのだが、ブログの記事という形である程度まとまった思考にいつでも立ち返ることができるのは間違いなくブログのひとつのすぐれた点と言っていいだろう。読み返しながらその内容に恥ずかしくなって死にたくなることがほとんどだが(ほんの一日前に投稿したそれに対してもしばしば起こる)、たまにだけれど意外といいこと書いているじゃないかと自身で驚くこともある。そういう思考の軌跡がひとつの人目に曝されている場所にログとして残っていってしまうというのは残酷な話ではあるが、しかしそれは何とも現代っぽいし、逆に人間味があっていいじゃないかと腑抜けたことを考えてもいる。

さておき、この1年間のことをこの場でざっくりと振返ろう。記録が正しければ、僕は2013.8.29に日本からフランスへと発ち、2014.8.28にフランスをふたたび離れた。もともと1年間の学生ビザが途絶える直前までフランスに滞在するつもりで、けっきょく丸々1年間、12ヶ月のフランス留学を予定通り終わらせたことになる。1年間というのは微妙な期間で、いっけん長いように思えて、過ぎ去ってみるとあっという間で、しかしながらひとつひとつの出来事を順を追って思い出してみるとやはり長かったようにも思えてくる———とにかく微妙な期間なのである。

ひとつの偶然にすぎないのだが、1年前の8月29日とまったく同じ日に、トランジットのため同じモスクワの空港の、同じカフェの同じ席(ここからだと唯一充電器がコンセントまで届く)でいま僕はこの文章を綴っている。パソコンをひらいた途端、勝手にインターネットに接続されて吃驚した。そうか、ちょうど1年前に僕はこのパソコンですでにWiFiのパスワードを打ち込んでいたのだ。そう考えるとなかなか感慨深い。今回もまったく同じ15時間にも及ぶトランジット、1年前と同じように眠ったりいろんなことを考えたり眠ったりしながらも、こうして文章を書こうとしている。

さて、問題はここに座ってキーボードをたたいている僕は、1年前にここにいて同じ所作をしていた僕と同一なのか、あるいは異なるのか? すなわち「僕は果たして留学を通して成長できたのかしらん」、あるいは「あなたにとって留学の経験を通してもっともよかったことはなんだと思いますか?」という月並みな質問に置き換えてしまってもいいかもしれない。とにかく、その類いの問いを自身に漏れなく投げかけながら、1年間の留学にすこしでも落とし前を付けようと藻掻こうと思う。

日本との「断絶」とは如何なるかや

1年前にブログに投稿した「日本の皆さん、僕は留学に行っています」という簡単な挨拶の文章という記事を再読した。なにやら環境がどうとか基盤とか断絶とかをぼやいている。

僕は日本からの「断絶」を図り、そうした「ベース」を日本からなるたけ移す実験をしたいという密かな野望を抱いてこの地にやってきたわけだけれど、しかしあまりにも根を張りすぎている日本という地から、果たして僕は解放されることができるのだろうか、どう足掻いたって、日本という地から逃げることはできないのではないか。(…)そういう基盤から自らを切り離すことはできるの。そもそも切り離す意味はあるの。

相変わらず恥ずかしい奴だ。まず、日本との「断絶」を図る野望とやらが達成されたかというと答えはきっぱりと「ノン」である。具体的なところを言うと、到着してから数ヶ月、とくに語学で苦しんでいる間はツイッターや日本のメディアなどにはなるたけ目を通さないように試みてはいた。フォローも減らし、ログインの頻度を控え、グーグルの検索エンジンに叩かれるワードはなるべく日本語でないようにしようとし、思考までをも日本語でなくフランス語にしようとした。現地で日本人とつるむのは避けようとしたし、とにかく日本とのつながりをなるたけ切断したかった。けっきょく1年を通じて日本にいる友人とはあまり直接コンタクトを取ることはなかったが、それでも一方でときおりツイッターやフェイスブックで気になって友人のページなどに無駄にアクセスしている自分に「僕は異国に来ているのに奴らのどうでもいい近況なんか知ってどうなるんだ」と矮小な自分を蔑んだりしていた。

そもそもなぜ断絶をしたかったのか? ひとつは、僕はどこでも生きてゆけるのだという経験に立脚した自信が欲しかったというものがある。「グローバル人材」というナゾの概念がやたらと持て囃され一人歩きしている昨今、しかしいったいぜんたい異国で暮らしてゆくとは何ぞや、ということをたとえ留学とは言えど真正面から向き合っていきたかった。それは一部では言語的な要素も内包しているのだけれど、わりかしそんなに単純な話ではなくて、もっと大きなアイデンティティとか帰属とかに係る問題だ。1年前に書いた文章も要はそういうことだ。

けれど、そういうことを考えながら暮らしてゆくなかで、「断絶」とはもしかすると必要のないことなのかもしれない、とようやく思い始めた。僕たちは僕たちの出自とか故郷から完全に自由になれないし、無理に自由になる必要もないのだ、と当たり前のことを素直に思えるようになった。日本の友人の近況が気になってなにがわるいのだろう。日本語の知性にふれたくてなにがわるいのだろう。日本人とコミュニケーションしてなにがわるいのだろう。いまはそれが可能な世の中に僕たちはいるのだ。異国にいるのにそればかりでは白けてしまうが、「日本語が母語であること」「日本で生まれ育ったこと」は抗いようもない事実だし、いまいる環境でいかにそれを活かせるかという視座に立つほうが賢明ではないか。日本人である僕は、周囲のフランスにいる大多数の人間には到達しえない情報にアクセスでき、また異なった考え方ができるはずだ。それに加えて、フランスにいる僕は、日本にいる大多数の人間には到達しえない情報にアクセスをでき、考え方をできるはずなのだ。近況が気になる友達をつくれればいい。外国語で知性にふれるようになればいい。つまるところ僕の持つふたつのアドヴァンテージがうまく機能すればよい。自分の置かれている環境をそういうふうに前向きに捉えられるようになってから気が楽になったし、ソーシャルメディアもふくめていわゆる「日本」というものとちょうどよい距離感で関わることができたように思う。1年前の文章を書いていた僕はやっぱり何だか捻くれていた。語学の習得というひとつの目標を盾にして、必要以上のことを目指していたのかもしれない。

異なるコンテクストのなかに身を置くこと

さて、いまの話を踏まえた上で、改めてはじめの「あなたにとって留学の経験を通してもっともよかったことはなんだと思いますか?」という問いに答えるとするならば、東京にいた頃とは異なるコンテクストのなかに身を置いて暮らせたことかなあと思う。

僕は埼玉で育ち、地元の公立小学校、中学校と通ったあと高校、大学は東京に通った。大学附属の高校だったために同級生は全員大学へと持ち上がり、なかでも数人の友人たちとは同じバンドを組んでいたこともあって、彼らと週に何度も顔を合わせるという日常が続いた。とりわけ10代の頃は、高頻度でコミュニケーションが為される共同体の構成員は均質化してゆくので、カルチャーや嗜好までもが共有され均らされてゆくホモソーシャル感の強い場(男しかいなかった)で多くの時間を過ごしていたこととなる。読んでいる本、聴いている音楽、観ている映画、考えていること、そういう諸々は次第に近似値を示すようになってゆく。彼らと話しているのは楽しかったし、一緒にいるのも楽しかった。けれど、引き出しがあまりにも共通しているせいで、そこからさきの広がりが見えてこないことが往々にしてあった。

そういう閉塞感に危機感を憶えて「(20歳の)井戸端会議」という場が設けられたりと、「外部」からの多様性の確保を試みてはいた。それは、各々がまた考えていたことだし、僕自身も「彼らと共通しないこと」を意識的に持とうとはしていた。

けれど、そういうちいさなコミュニティだけでなく、もっと巨視的に考えても東京、ひいては日本という共同体に関しておなじことが言えるのではないか。たとえば映画を例に取るけれど、東京に暮らしている似たような趣味の映画好きであれば、彼らが映画館で観ている映画にあまり振り幅はないのではないかと思う。名画座、ミニシアターが年々減少を見せ、いまも残っているシネコン以外のスクリーンの数は十分に多いとは言えない。その限られた場所たちで、この映画館で何の特集があって、ここではこの映画をやっていてという情報は直ぐに映画ファンの間を行き交うし、いち個人はそうした機会を待ち受動的に追いかけてゆくしかない。

どれだけ文化的に豊穣な地であろうが、同じコンテクストに身を置き、似たような嗜好を有している以上は、最大公約数は(比較的)高い値を示してくる。一定の限られたリソースを共有している以上、ハイコンテクストになってゆくのも無理はない。それはまさしく僕の友人たちと構成されていた小さなコミュニティであったのと同じ現象であり、あるいはひとつの閉鎖的な共同体の欠陥とも言えるかもしれない。

だからこそ、そういうコンテクストから離れ、まったく「外部」のそれに身をおけたのはよかったなあとしみじみ思う。とくに幸いしたのは、僕が留学したフランスは、凋落ぎみとは言え依然としてカルチャーにおいても豊穣な国だ、ということだった。また映画を例に取るけれども、世界一といえる映画の祭典、カンヌ映画祭にだって参加できたし、また1年を通して日本においてはおそらく出合うことがなかっただろう作品をスクリーンで何本も観れたというのは、おそらく一見する以上に大きな意味を持っている。確かに日本に残っていてもまた同様に新しい作品に何本も出合えていたのだろう、「出合わなかったもの」と「出合ったもの」を比較するのは不可能だけれど、それでも僕がここで「出合ったもの」たちは本来「出合うはずのなかったもの」たちだった。そこへと僕が「物理的に移動」したからこそ出合えたのである。今年話題を集めた東浩紀『弱いつながり』にも同様のことが書かれていたのを思い出す。

「日本」とか「いままでの自分を構成していたものたち」への客観的視座とか

物理的な身体の移動。狭義のカルチャーについてだけではなくて、それによって物理的に彼ら/東京/日本と離れられたことの持つ意味は計り知れない。「海外に出たことで日本を多角的に見ることができるようになりました」というのは留学経験者による感想文の定番となっているが、あながちそれは浅はかでもなくて、海外からの日本そのものや日本における常識への客観的な視点の獲得だけでなく、距離を置くことによって、「自分自身が身をおいてきたコンテクスト」だったり、「いままでの自分を構成していたものたち」にも立ち返ってメタな視線を送ることができるようになる。

日本で長らく暮らしていると所属しているコミュニティや進行しているプロジェクトはたいてい誰でも複数持っていて、それに加えてそれぞれの生活リズムというものがある。毎朝電車に乗って大学に通って、授業はこれくらいあって、この曜日のこの時間はバイトをし、暇なときはいつもの友人と遊んだりして、何曜日の何時からはあれがあって、この日はお気に入りのテレビ番組があって。週末はどこかへ赴いて、ときおり行きつけのレストランやカフェに行って、暇なときの時間のつぶし方もよく知っている。地理にだって詳しい。ここになにがあって、これをするにはここへ行って、と勝手がわかっている。

そういう生活のすべてが海外へと発った途端にリセットされることになる。過去の連綿と続いてきたあれこれから断ち切られ、新しい土地で「ゼロからの新しい暮らし」を構築する必要に迫られる。それは国内における引っ越しとはやはりちがうものだし、旅ともちがう感覚のものだ。右も左もわからない異国の地で新しい生活を始める。それはなかなか骨が折れる作業だなと痛感した。

「環境」こそがわれわれの思考を象ってゆく

……と、長々と語ってきたけれども、要するに何がいちばん言いたいかというと。

僕は1年前の記事で、アルベール・カミュ『異邦人』から、主人公のムルソーの「誰だって生活を変えるなんてことはありえないし、どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだ」という言葉を引用して以下のようなことを書いていた。

海外における生活は、これまで20年間日本でやってきたそれとはがらりと変わる、と、いうのはたぶん噓だ。すくなくとも変わっているように見えるそれは、あくまでそう見えるだけであって、べつになんら本質は変わっていない。(…)どこにいたって個々の人々の行動規範になんら変化はない。われわれがなにに価値を感じて、どう行動をするか、というのは環境が違えど同種であろう。

環境の差異なんて大したことがない、ということを1年前は信じていたけれど、おそらくここが1年の留学を経てもっとも考え方が変わった部分だろう。普段見えている光景、普段聞こえてくる音や言葉、普段食べているもの、普段すれ違う人々。当り前のことだけれど、そういうものたちがわれわれの日々の思考を象ってゆく。われわれがなにに価値を感じて、どう行動をするか、それを「本質」と呼ぶならば、その「本質」はたしかに環境が違えど同種かもしれないし、そういう意味合では「生活」にラディカルな変化はなかった。けれども、その「生活」の中で出合っていく些細なことたちがひとたび変われば、思考の内実が示すものは変わってくる。結果的に僕らが見ている景色は同じものではなくなっているのだ。だからある意味では「海外における生活は、これまで20年間日本でやってきたそれとはがらりと変わる」というのは本当だった。

吉祥寺バウスシアターの閉館のニュースを受けて、いつしかツイッターでこう呟いたことがあった。僕らは、コンテンツを消費するというより「体験」している。否、「体験」されてしかるべきといったほうがいいか。「体験」には常に身体が伴っていて、身体はいつもどこかの現実に属している。身体はひとつしかない、従ってひとつの現実にしか属せない。それはインターネットで一瞬で世界中とつながれる現代でも変わらない。そういった、いわばリアルな身体感覚みたいなのがきちんと持てるようになったのはよいことだった。21歳になったときに書いた「この身体と共にいっときも離れることなく21年間やってきたのか」というひとつの自覚も、まさしくその身体感覚をもとになされたものだと思う。そして、そういう身体感覚はコンテンツの受容の仕方そのものを変え得るのである。

僕の想像力では身体が複数の現実に属しているかもしれない未来のことを描くことはできない。たぶん、存命中にその日が来ることはないのだろうと思う。ひとつの現実における一瞬一瞬に身体が体験できるのはひとつしかないし、いつかは朽ちてゆく身体が体験できるものはどうしたって限られている。その体験の多くは偶然によるものばかりだが、物理的身体の位置する場所によって必然的にわれわれが出合う偶然は異なってくる。

さっきも言ったように、「出合わなかったもの」と「出合ったもの」を比較するのは不可能だ。けれど僕は1年間身を置いていたこの地で出合ったものには満足しているし、この地で出合えたからこそ響くものだって、見えてくるものだってあった。そういうすべてが掛け替えない。そういう意味では、間違いなく留学に行ってよかった、そう思う。そう思えるのはよいことだ、とも思う。

paristexas

1年のフランス滞在も終わる間近の8月にパリに暮らしていたときに、ヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』がリバイバル上映されていたので観に行った。映画でこんなに泣いたのはいつぶりだろうか、と思いながらエンドロールに流れるライ・クーダーの美しいギターの音色を最後まで聞き届けた。

映画を観た方ならお分かりだろうが、『パリ、テキサス』というタイトルはフランスのパリのことではなく、舞台となっているテキサス州にある「パリ」という地名のことである。そして、主人公のトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)はその「パリ」で、ナターシャ・キンスキー扮する女と出合って結婚することになるのだが、以降トラヴィスは「俺はこの女とパリで出合ったんだぜ」と誇らしげに言いふらし、それを聞いた者は「フランスのパリ」と勘違いする、という劇中の小ネタがある。

それをフランスのパリの小さな劇場で観ているという状況が何だか可笑しかった。ああ僕はいま、イケてる都市の代名詞として映画のなかで話されているパリの小さな映画館でこの映画を観ているんだよなあ。映画の本筋とはまったく関係のないことなのだけれど、そのおかげでなぜだかくだらないギャグを吹かすトラヴィスという男のことをもっと愛せるような気がした。たぶん、そういうことなんだと思う。そういう小さな積み重ねがあったからこそ、最後に僕は車で宛先もなく走り去ってゆくトラヴィスの姿を見てあれだけ涙を流せたのだろう。これを自宅でDVDで観ていたら、東京の映画館で観ていたら———いい映画には間違いないのだが、もしかするとここまで響くこともなかったかもしれない。

ほかの観客たちに悟られないように涙を拭って、眼鏡を掛け直し、映画館を出る。8月なのに肌寒いパリ、朱色に染まっている街並や人々を見ながら、僕はいつもよりゆっくりと歩き、公園のベンチに座ってタバコに火をつけ、煙の向こうで傾いてゆく太陽を反射しているひとつの窓をじっと眺めるなどした。頭の中では、まだあのライ・クーダーのギターが鳴っている。こうしてパリの小さな映画館でかくも素晴らしい映画を観れた、その体験を静かに噛み締めている。ほんとうはこのあともう一本べつの映画を観に行くつもりだったのだけれど、この日はこのまま帰ってこの余韻に浸ろうと思った。お腹もすいてきたし、家に帰ってゆっくりしよう、何も急ぐことはないのだ、と。

その日から、僕の日記には日付のとなりにかならず場所が記されるようになった。ページをすこし捲っていけば、書きかけのページがある。それはほかでもない、本日、2014年8月29日、モスクワ。1年前と同じカフェの同じ椅子に腰掛けて、過ぎ去った日々とこれから来たる日々のことを想う。

(*1 2013年11月 スペイン、バルセロナにて撮影)
(*2 『パリ、テキサス』よりスチル写真)


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2 Comments

  1. コニシ

    井上 窓様
    はじめまして。コニシと申します。「羊飼い」と検索したら、いのうえさんのイモブログがヒットしました。まだ全部は読めていませんが、とても楽しく読ませていただいてます。
    ボクも映画や読書が好きです。
    更新楽しみにしております。日本に帰ってきたらぜひお会いしてみたいです。

    1. イモリ

      コニシさま
      コメント、ありがとうございます。お褒めの言葉、大変恐縮ですが素直にうれしいです。
      遅筆が祟って思うように更新できていませんが、書きたいことは山ほどあるのでこれからも頑張ります。
      いまのところ、春には日本に帰る予定ですので、ぜひまたいつかお会いしましょう。もうすこしたくさんの友人が欲しいとはずっと思っているので…!

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