MY 10 BEST MOVIES OF 2014

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かつては年間ベストなんてものを悠々と公開するなぞそんな恥ずかしいことはないと思っていたが、いざやってみると楽しくて仕方がなかった。どういう観点で順位をつけるかによって結果がまったく変ってくるので暫くどうするべきか困っていたのだが、「映画体験」としての価値ということを軸に考えておいてみた。なぜお金を払ってまで映画館へと足を運んで、スクリーンで映画を観るのか。その問いに答えてくれるような映画を選んだつもりである。というわけで、2014年にスクリーンで鑑賞した新作映画ベスト10と旧作映画ベスト5。

なお、9月末から滞在しているブルキナファソという小国は世界の映画産業とほとんど切り離されているために、今回はフランスに暮らしていた8月迄に観た映画からの選定となっている(さらにフランスでも、うち正味3ヶ月は旅行したり田舎にいたりと映画を観れる環境になかった)ので、年間ベストと呼べるのかは正直微妙なところである。ここ数ヶ月、フランスや日本で公開された評判を聞くたびにどれだけ悶えているか。また、フランスにおいて公開されたものなので、なかには日本公開されていないものも含まれていることを了解されたい。


2014年新作映画TOP10(フランス公開)

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1. 猿の惑星:新世紀(ライジング)(マット・リーヴス監督, USA, 2014)

「映画体験」というならば、ここに置かざるを得ないなと半ば降参した。僕は情動がおおきく喚起される瞬間を求めて映画を観ているわけで、そう考えるとこれほど昂奮した新作映画は今年、ほかになかった。洗練されたプロット、息を呑むくらい素晴しい映像、痛快なまでの演出。そういう要素は飽くまで表面的なものかもしれない。しかしながら、映画表現とはそういうひとつひとつの要素の積算なのだろう。その背後にどんなに崇高なメッセージを抱えていようとも、表面的/技術的な要素を蔑ろにしては元も子もない。すべては「感情」から出発する。それをまず喚起することでこそ、われわれはその向こう側へと、もっと遠くへといこうと舟を漕ぎ始めるのだ、ということを深く認識した。それは映画に限らない。

(参照:『猿の惑星 : 新世紀(ライジング)』、僕たちは猿の世界にかくも感動できる

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2. 6才のボクが、大人になるまで。(リチャード・リンクレイター監督, USA, 2014)

ほとんどの人間の日常は大抵、あまりに平坦で退屈だ。波瀾万丈ながらも栄光の人生を送った歴史に名を刻んだ彼らのように、他人に雄々しく語れるものなんて何もない。この映画も同じように、フィルムに収められた12年間の人生の軌跡の一部は、なんの変哲もない「日常」の連続だ。けれど、どうしてこうも愛おしいのだろう———そう問いを立てた観客は、やがて彼自身の人生の「物語」を発見する。”Boyhood”というタイトルにそれぞれの物語を代入する。そして同時に、映画館をともに出て行く赤の他人ひとりひとりにも、おなじく愛すべき特別な物語があるのだと気づく。映画が終わったあと、見ず知らずのほかの観客たちの表情が気になったり、すこしでも彼らに寛容になれたりする、そういう魔法を映画はまだかけられるのだと思うと、僕は無性に嬉しくなる。

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3. 雪の轍(ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督, トルコ, 2014)

善意は必ずしも報われるとは限らないし、だれにとっても美しくあり続けることなんて不可能なのだ。だれしもが各各の善意に基づいて行動していても、彼らは現実に残酷なまでに裏切られてゆく。「120分を超える映画は敬遠される」といわれるなか、今年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを獲得し話題をさらった200分近くにわたる会話中心の心理劇。シネマスコープが捉えたトルコ、カッパドキアの美しい冬景色に圧倒されながら、物語後半にかけて静かに雪がつもっていくかのように登場人物たちのエゴや本音がじわりじわりと抉り出されてゆく緊張感は目を見張るものがあった。こういう静かだけれども力のある映画をもっと観たいし、圧倒されたいとおもう。

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4. アンダー・ザ・スキン 種の捕食(ジョナサン・グレイザー監督, UK/USA/スイス, 2014)

スカーレット・ヨハンソン(今年は彼女にとって当り年だった)が出ているという程度の僅かな前知識のみで鑑賞したが、その内実に驚ろいた。映画館から地上へと出て辺りを歩きながらひとつひとつのシークエンスを反芻し、浮ついた感情にどうにか言葉を与えようとする。まるではじめて口にした奇妙な味のする異物を、口腔で舌を転がしたり咀嚼して恐る恐る確かめるかのように。そして当初はただ奇妙としか思えなかったその異物に、いつの間にかふたたび食指が動いている——そういうカルト的なSF映画だ。スカヨハの想像よりもだらしない身体も去ることながら、これまで観たことのないSFへの新たな切り口とその方法論の確かさは今年の映画の中でも取り立てて大きな印象を残した。

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5. グランド・ブダペスト・ホテル(ウェス・アンダーソン監督, USA, 2014)

今年観る機会に多く恵まれた「映画新興国」の新人監督の映画は大変よくできている力作ばかりだったが、いっぽうで国家や民族という枠組みを入れ替えただけで、要となる物語的想像力に既視感を禁じ得なかったのも事実だ。グローバリゼーションは、想像力までをも均一化してしまうのか——そういう危機感を僅かに持ちはじめた矢先に、この映画に出合った。ひとつひとつの細かなディテールにもユニークな想像力を働かせることを惜しまず、ここまで壮大なフィクションたる世界が立ち上がったことに大きな感激を覚えた。その「世界」をつくりあげたのはウェス・アンダーソンの才能によるところが大きいのは間違いはないが、同時に彼ひとりでは世界は建設できないことも明白だ。この映画に登場する数々の見知った役者たちと、顔も名前も知らない多くの舞台裏のひとびとに敬意を告げたい。

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6. 鑑定人と顔のない依頼人(ジュゼッペ・トルナトーレ監督, UK, 2013)

ハッピー・エンドかバッド・エンドかにきっぱりと意見がわかれてしまう映画というのは、きまっていい映画にちがいないというのが僕のセオリーのひとつなのだが、この映画はまさしくその好例だろう。そうして感想がまっぷたつに食い違ってしまうのも、物語自体がふたつの相反する事象を扱っているからだと思う。本物か偽物か、虚構か現実か。台詞や演出のあちこちにその対立するテーマのヒントが見受けられるが、かといって説明的になりすぎず、観客は純粋に物語の流れに身を任せて楽しむことができる。その絶妙なバランス感覚は、監督の手腕をしたたかに証明している。ちなみに僕はハッピー・エンドだと思うし、「本物」が存在している心地のよい「虚構」を享楽するより、「偽物」だらけの「現実」に摩耗しながらも向き合いつづけるほうが美しいと思う。

(参照:美を欲望するということ。Marguerite Kelsey、5月、倫敦

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7. ニンフォマニアック(ラース・フォン・トリアー監督, デンマーク, 2014)

観客に2回も映画館まで足を運ばせ、金を払わせ、合わせて4時間も椅子に座らせ、性と暴力の描写ばかりの映画を観させるという事実だけを取り出せば、それはあるいは暴挙と呼んでもいいのかもしれない。しかし、そういう暴挙をこんにち臆面もなく大衆に押し付けることのできる映画作家の存在には敬意を払わなければならないだろう。この映画に就いては、批評なんて正直どうでもよくて、僕は4時間にわたる物語の最後に”押し付けられた”あのラストシーンにただただニヤニヤとするしかなかった。ハードロックが爆音で放たれている真っ暗闇の世界では、すべてが滑稽だと嗤われてしまうのかもしれないが、もしかするとその世界は僕たちのそれよりも幸せなのかもしれないと空想してみたりする。

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8. ナショナルギャラリー 英国の至宝(フレデリック・ワイズマン監督, UK, 2014)

自分の足で回って自分の目や耳で見聞きすること、「自分自身による体験」がなによりも強いのだと一般に信じられているが、果してそれは正しいのだろうか。ロンドンにある世界最大の美術館のひとつとして数えられるナショナル・ギャラリーで撮られたフレデリック・ワイズマンのドキュメンタリー(観察)映画だ。カンヌ映画祭で観る機会に恵まれたのだが、奇しくも鑑賞の数週間前にナショナル・ギャラリーを訪れていた。自分が体験したものと、映画におさめられた光景が、結び合わさって立体的になることもあれば、コンフリクトを起こすこともある。何より、まったく頭になかった他者の視点を読み取ることで、「自分の体験」は簡単に書き換えられてしまうこともあると教えられた。僕は「芸術との共存」を大きなテーマとして読み取ったが、また同時に、各各の体験によりそのひとが読み取る「他者の視点」もまた一定のものを示さないはずなのだ。「個」と「映画」の関係にまでも思いを巡らせた。

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9. サンドラの週末(リュック&ジャン・ピエール・ダルデンヌ監督, ベルギー, 2014)

個を語ることと社会を語ることは等号を結ぶのであると思わせてくれる稀有な映画作家だ。彼の作品は観るたびにいつも映画的だと強く感じるのだが、その謂れが何なのかはいまいちまだ判らない。ただ『Deux Jours, Une Nuit』は彼のフィルモグラフィのなかでは最高傑作ではないかと思う。何も捻ったことはしていない、ただひたすらにキャメラはマリオン・コティアール扮する主人公と彼女を取り巻くひとびとを追っていくだけだ。にも拘らず、僕たちはいたるところで噴き出す登場人物たちの感情に揺さぶられ、同時にその背景に浮かび上がっている社会の輪郭を目撃している。ここで行われていることはいっけん簡単に見えながら、ここまでの作品に仕立て上げられる者はいないかもしれないなと首を傾げる。

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10. Finding Vivian Maier(Charlie Siskel&John Maloof監督, USA, 2014)

21世紀にはいって「発見」されたアメリカ人女性写真家、ヴィヴィアン・メイアーの足跡を追ったドキュメンタリー。彼女については数年前から知っていたが、ヴィヴィアン・メイアーを偶然「発見」し、広めた張本人がこの映画においてもキャメラを取ったということで、非常によくできていた、というかこれ以上よくなりようがないのではないかとさえ思った。対象へと向けるまなざしにこめられた愛は、スクリーンを超えて観客をも伝播する。そういう意味でも、ドキュメンタリーにおけるキャメラこそがもっとも正しいキャメラの在り方であるように感じた。しかしヴィヴィアン・メイアーのストリート・スナップは素晴しい。それを確かめられたことがいちばんの収穫かもしれない。だからはじめに「愛」があるのだ。


おそらく生涯ベスト10に食い込んでくる作品を発見することはなかったが、今年は豊作であったと思うのは単純に鑑賞した映画の母数がふえたからだろうか。しかし第4四半期に日本やフランスで公開された作品たちもどうやら重要作ぞろいであるという事実も踏まえると、豊作といっていいのではないかと思ったりもする。なお次点はリテシュ・バトラ『めぐり逢わせのお弁当』、ケン・ローチ『ジミー、野を駆ける伝説』、クローネンバーグ『マップス・トゥー・ザ・スターズ』、マチュー・アマルリック『青の寝室』、パウリコウスキ『イーダ』あたりだろうか。海外に暮らしていたため新作邦画はほとんど観ることがなかった。したがってベストにも1本も入っていない。また、ご覧の通り10本のうち4本がアメリカ映画(また1本は他国と合作)であるが、思えば確かにDVDでもとりわけアメリカ映画を好んで観ていた気がする。そういうことなどをまとめて総括したいところだったが、ひとつひとつの映画にコメントを寄せたら思いのほか疲れてしまったので今回は見送りたい。スンマセン。


2014年旧作映画TOP5(フランス公開)

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1. パリ、テキサス(ヴィム・ヴェンダース監督, アメリカ, 1984)

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2. 欲望 Blow-Up(ミケランジェロ・アントニオーニ監督, イギリス, 1967)

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3. こんなに悪い女とは(アレサンドロ・ブラゼッティ監督, イタリア, 1955)

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4. 黒蜥蜴(深作欣二監督, 日本, 1968)

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5. 日曜日が待ち遠しい!(フランソワ・トリュフォー監督, フランス, 1983)


新作映画よりも旧作のほうが今年スクリーンで観た数はけっきょく多かった。没後30年で彼方此方でレトロスペクティヴが行われていたトリュフォー(パリのシネマテーク・フランセーズで組まれていた特集、行きたかった)、イングマール・ベルイマンやサタジット・レイ、さらには深作欣二なんかを幾つかまとめて観る機会があったのはよかった。しかし以上に挙げた5作品の写真には、気づくと男と女が一対になって映り込んでいる(厳密にいうと『黒蜥蜴』に至っては例外なのであるが)。もっともありふれているかもしれない男と女の物語にこそ、往々にしてわれわれはもっとも感動を覚えるものなのだ、という粗末なまとめで筆を措かせてください(疲れた)。来年もすぐれた作品に出合えることを期待しつつ。

しかし、まったく関係ないのだが”Best”やら”Top”といった語の上品な訳語や同義の単語がみつからず、この記事にタイトルを付けるのに苦労した結果、英語で書いてしまった。ベスト10、トップ10、片仮名で書くとどうも格好わるい。日本語では適切な語がない(というのはあくまで僕の感覚であるが)というのは、すなわちこうしてなにかに順位をつけるということ自体が日本的な感性とそぐわないのかもしれないという暴論を妄想したりする。どうでもいい。


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