ブルキナ日記 #03|月明かりに照らされて

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いつものキオスクで、たわいもない話をしていると、急に停電が起こった。べつに珍しいことではない。停電なんてもはや日常茶飯事だ。いつもと同じように、街灯や建物の電灯たちはほんのすこしの間隔を空けながら次々と消えてゆく。僕たちは口々に「ああ、またか」と呟く。

少しして街じゅうが暗くなったであろうと思われたころ、僕は背中のほうから青白い光が差していることに気づいて、思わず振り返った。ひとつだけ電灯の光が停電を免れたのか、まさかそんなはずはという思考が一瞬頭をよぎるも、すぐにそれが間違っていたことを発見する。

満月だった。すこしも欠けていない真ん丸の満月が、燦々と照っている。月の光はこれほどまで明るいものだったか、と僕は改めて驚ろいた。このあいだ停電だったときは、一糸の光も差し込んでいないと形容できるほどの暗闇であったのに、満月の夜はこんなにも明るかったのか、と。

その感慨を机を囲んでいたひとたちと短く共有をしてなにごともなかったかのようにこれまでの話に戻っているさなか、ひとりが目を細めてぽつりと話をはじめる。

「僕らが子どもだったとき、もちろん小さな集落だったから電気なんてなくて、満月の夜は、きまっていつもみんなで外で時間なんて気にせず夜遅くまで遊びほうけていたものだった。からだ中が白くなるまで砂にまみれながら遊んで、へとへとになって着替えることもせずに布団に潜り込んだ。翌日の朝は母ちゃんの怒号とともに叩き起こされて、眠い目をこすっているうちに冷水を頭から被らされたものだったよ」

だれも彼のこの話に大した反応を見せることはなかった。聞いてなかったひともいたにちがいない。助けを求めるかのように彼は僕のほうを見てきたので、愛想笑いを向けておいた。情景が浮かび上がってくるようなすてきな話だと思ったが、それを彼に伝えることはなかった。「この明るさならーートランプだってできるね」と誰かがいう。ほかの誰かがトランプカードを持ってくる。「さて、なんのゲームで遊ぼうか」。僕は彼らにいくつか新しいゲームを教えたので、それまでひとつやふたつくらいのゲームしか知らなかった彼らは、いまでは選択肢が多すぎて遊びきれないほどになっている。

「じゃあ、七並べで」。カードが配られる様子を僕はぼんやりと見つめる。僕が教えてから七並べは彼らの直近のお気に入りとなったが、まだジョーカーの機能をきちんと理解して効果的に使えている者は少ない。カードが目の前に積み重なっていくあいだ、僕は、僕にとっての満月の夜との思い出をこちらへとたぐり寄せようとした。満月の夜の記憶。母に「満月がきれいだよ」と言われて、自宅のマンションのベランダに出て月を眺めた。はじめて買った一眼レフで満月の写真を撮ろうとしたけれどうまくいかなかった。小学校で月の満ち欠けの仕組みについて教わった。「十五夜お月様」という歌詞がある童謡があったと思うが、なんの歌だったか思い出せない。こうして記憶を遡っても、それらしき記憶にぶつかることはなかった。ただ、満月が来るたびに、空を見あげてただ奇麗だなとひとり思った記憶の断片らしきものが無数に散らばっている。都会で生まれ育った僕は、常に電灯に照らされながら暮らしてきた僕は、これまで月の光のかほどの明るさに気づくことはなかったし、満月の夜が特別な意味を持つことはいちどもなかった、そう思う。それはなんだか悲しい事実だった。

月はだれにとっても平等に存在するものだとずっと信じていたけれど、彼らの満月は、僕にとっての満月より特別で、ずっとずっと明るいのだということを思い知った。そして月の欠けている夜は、その暗さによって逆説的に彼らは月の存在を意識することになるにちがいない。僕の過ごした夜は、どの夜も同じように暗くて、同じように明るかった。時間になったら布団にはいって灯りを消した。目覚めた頃には太陽の光が差し込んでいた。太陽の日差しに目がくらんだことはあっても、月の明かりに感謝したことはあっただろうか。

だからといって、われわれは電気を棄て、月の光とともに生きる暮らしはもう選べない。僕に子どもの頃の満月の夜の記憶を語ってくれた彼だってきっと同じだろう。月の光は、われわれが思っているよりもずっと明るいが、光に溢れた暮らしをしているわれわれが頼っていくぶんには暗すぎるのだ。そうして月は、少しずつ遠景へと退いてゆく。僕が生まれ育った国では、もうだいぶ小さくなってしまったようだ。この国だって、いくばくかは大きいかもしれない、だがその日はいつかは訪れるだろう。すこしのタイム・ラグがあるだけで、きっと人類の智恵はこの国をも包摂していくにちがいない。

人類が電気を発明したように、これからもたくさんのことを発明してゆくのには間違いない。けれども、なにかひとつ新しいものが発明されるたび、代わりにべつのなにかが意味を失っていく。人類の歴史はその発明と消失の繰り返しだ。いつしか地球のすべてがまばゆい光に満たされ、人間は満月の夜の記憶を失ってしまう日が来るかもしれない。軽微な月の光はだれのもとにも届かなくなってしまうかもしれない。僕たちはそれに抗うことができるだろうか。いや、たぶん、たぶんなにびとも遠のいてゆく月を引き戻すことなどできないだろう。それならば、僕たちにはノスタルジックに遠のいてゆく月を眺めることしか残されていないのだろうか。

七並べが佳境に差し掛かろうというとき、ようやく街中に電気が戻った。この夜、ふたたび満月の話を口にする者など、もうひとりもいなかった。

(2014年3月 フランス、エクス=アン=プロヴァンスにて撮影)


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