雑記( October, 2015 )

雑記( October, 2015 )十月。

いよいよTシャツで過ごすのが困難になり、冬物のコートをどうしようかと考える時季になった。十月も終わりに差し掛かると冬の到来をひしひしと感じる。風呂場から出たときの寒いこと寒いこと。そして、ベランダに設置された椅子に腰掛け、煙草をふかしながら読書をするという僕にとっての最高の時間が、気温の低下にともなって失われつつあることに危惧している。じつは日本で冬を迎えるのは三年ぶりになるので(しかも過去の二年は南仏とアフリカにいたので、寒さ耐性をほぼ失っている)、どうなることやらといまから心配だ。なにごともなく生き延びれるといいけれど。はやくコートを買おう。

 

十月から友人たちがのさばっている高田馬場のシェアハウスらしきものに、週の半分くらい転がり込むようになった。ほんとうは夏休みのあいだから住むつもりだったのだけど、まずテレビがないこと(しかもケーブルテレビでないとプロ野球中継が見れない)、そしてまた想像を絶するようなゴミ屋敷のさまを呈していたため、なかなか住む決心がつかずぐずぐずしていた。意を決して九月末のある夜、同じく居住を考えていた友人と朝までかけておおかたのゴミを退治し、なんとか耐えうる環境まで復元させ、十月一日より住んだり住まなかったりしている。あれだけの数の蛆虫を目にするのはもう勘弁したい。なんだろうこの茶色い無数の点……と思って目を近づけると、そのうちのいくつかが蠢いていることに気づいたのだった。ああ思い返すだけで気持ち悪い。げえ。

いま、シェアハウスには僕をふくめて六人の男どもが同じ屋根の下で暮らしている(なんならときどき同じ布団で眠ってさえいる正真正銘のホモ・ソーシャル空間である)。彼らはみなよく見知った友人なので、まさしく毎日が修学旅行のような感じだ。深夜にコンビニに行きがち。深夜に鍋を敢行しがち。深夜にボードゲームしがち。以前ややあって「シェアハウスで暮らすことにおける課題点」についてブレストしたのだけれど、「遊んじゃう」という切実な悩みがぼそりと出てきて大いに笑った。炬燵とテレビの導入が検討されているが、設置されるや否やますます泥沼から抜けれなくなることは必至だ。まあ、なんだかんだ言って愉快な日々です。遊びに来たいひとはいつでも言ってください。

 

ことしのプロ野球が終わってしまった。阪神タイガースはギリギリのところで3位に食らいつきレギュラーシーズンを終える。カープとは本当に僅差だった。3位なのはいいのですが、なによりも藤浪くんに15勝および最多勝がつかなかったのが悲しい。来年こそは開幕投手だろうか。毎年成長を見せている藤浪くんは、歳が近いこともあって(1個下!)、生涯を通じ応援してゆきたい選手です。藤浪くんで負けながらもカープのおかげで進出を決めたクライマックスシリーズは、巨人との手に汗を握る短期決戦、僅差のところで敗退を喫してしまった。しかしあの最後のチャンスに福留、ゴメス、マートンの凡退、逆に清々しくて納得感はあったし、あの戦力で戦ってもヤクルトには勝てそうになかったので本当に来年に期待というしかない。スパイスの後任(僕はけっこうスパイスが好きだったのだ)、金本監督はさいしょは厭だったけれど、キャンプ地の報道を見ている限り意外とうまくやっているようだ。ドラフト会議では茶番を経ながらも、明大の高山君も手に入れたしね。しかしまあ、三月末の開幕からプロ野球観戦ばかりの生活はこれで一旦の休止符を打つことになる。ひとこと言うなれば、楽しかったです。投資した時間を考えると、楽しかったと単純化しておくのが吉な気がしている。

 

今月は、いろいろとあって帰国以来遠ざかっていたフランス語に触れる機会が増えた。久し振りに本気で作文をしたのだけれど、まあ辛いこと辛いこと。外国語の作文は厭で仕方がない。DALFの筆記試験も受けたのだけど、三時間半も集中しつづけて外国語で文章を一気に作成するなんて、おそらくははじめての経験だった(結局教材は買ったものの普段から三時間半も集中力が保つはずもなく、ぶっつけ本番で挑む羽目になった)。ただこうして場数を踏んでいけばだいぶ語学力は上達することはまちがいない。なにごとも場数である、練習ではなくて本番をこなさなければいけないのだ、本番を。

それから、最近フランス語で話していて驚くのは、以前よりも明晰なロジックのもと遠いところまで議論でいけるようになったという実感があることです。もちろん話す機会は圧倒的に減ったので、留学していたときに比べれば望ましいタイミングで相応しい単語が反射で口から飛び出さなくなってきたりもしたけれど、それとはべつの観点で会話の能力が上がった、ような気がする。たとえば対話のなかでユーモアをもっと込められるようになったし(とくにユーモアというのはオーラル・コミュニケーションのなかで何より大事だ)、頭に浮かんだアイデアを向こう見ずに置くのでなく、より順序立てて明晰に話せるようになった、たぶん。いちおう自己分析を試みた結果、日本語における思考/発話能力を取り戻しはじめたことで、あまり稼働されることのなくなった仏語においてもそれが侵食しはじめ、結果として非言語領域での思考性の感覚をより掴んできたから、ということかな。ただし英語ではまだ表面的な会話しかできないコンプレックスは抱えて続けている。英語を話すときも、”i”を「イ」と仏語読みしてしまう病をどうにかしたい。このせいでアシスタントを担当している英語の授業でこのあいだ恥をかいてしまった。生徒に失笑される屈辱よ。しかし、どうなんだろうな。そもそも、日本語でのロジックの組み方が仏語的な感覚に近しくなってきたのかもしれない。ううむ、この話をし始めたら止まらないので辞めます。

フランスのPodcastをよく聴いている。なかでも気に入っているのは「VILLES MONDE」という番組。眠れない夜に頻繁に聴くようになった。仏語なので友人たちに奨められないのがほんとうに残念なのだが、テーマはじつに単純で、「世界のどこかの街」に毎度フォーカスし、その土地に所縁のあるさまざまなひとへのインタビューや、かれらの奏でる音楽、町の雑踏の音などを入り交ぜながら、その街のいかなるかを明らかにしていこうというものだ。特集される街はまさしく世界中から選ばれていて、最新のものから順番にいくつか挙げてみると、アンタナナリボ(マダガスカル)、シカゴ、サンクト・ペテルブルク、リオ・デ・ジャネイロ、 タンジェー、ヘルシンキ、プラハ……といった具合。なにが素晴らしいかというと、異邦人からの単一な視線によってそれぞれの街を説明していくのではなく、その土地のひとびとの複数の視線が交錯し、さまざまな音が混ざりあうことで、聞き手にとって、ひとつの街が立体的に構築されてゆくというところかなあ。安易に映像が呈示されないからこそ、頭のなかでイマジネーションが羽ばたいてゆく感覚は最高です。日本でもやってほしいな。マリのバマコが特集された回にいたっては、自分のブルキナファソの記憶とつながってか、幸福のあまり落涙すらした。最高にチルい番組なので仏語クラスタの方々には全力で薦めます。

 

東京国際映画祭があった。過去二年は日本にいなかったので、TIFFはおよそ3年ぶりで、さらにここまで足繁く通ったのははじめて。会期が半分に差し掛かったところから参加し始めたのだけど、なんとか13本観ることができました。朝から出ずっぱりで映画を見て、深夜を回ったころに帰路につく生活。いやあ、久しぶりにこんなに映画を観たな。自分はとくにシネフィルだと思ってはいませんが、映画祭という催しにはどうにも心が躍ってしまう。僕はなにより、映画は、偶然の邂逅によって発見されるべきものだと考えているふしがあるので、映画祭という場で、前評判なんかもあまり聞かないまま、直感で決定して観れるというのはいちばんいい。もちろんこのような方法は外れることも屢々だけれど、今年のTIFFは驚くほど外れがすくなかった。とはいえこれくらいのクオリティは毎年担保されているのかもしれないけれど。来年からもタイミングが合えば参加し続けたい。

ワールドフォーカス部門では、『土と影』というコロンビア映画がとくに素晴らしかった。今年のカンヌでカメラ・ドールを受賞した作品。日本での配給はかなりつきにくそうな作品だけれど(去年のカメラ・ドール『ザ・トライブ』は有難くも公開されなかなかのヒットを記録したようだが、この作品はいかに)、ひさびさにきめ細かい秀作をみたという気がする。すべてが終ったことを受け容れ、ひとりでベンチに腰掛ける老婆の孤独は、きっとだれよりも深い。いまの僕からはどれだけ沈潜しようと試みてもとうてい到達できないような、あまりに深遠な孤独のかたちに、とにかく大きな感動をおぼえた。そして、フレデリック・ワイズマン(!)の40作めの新作『ジャクソン・ハイツ』。鋭い作家のまなざしが、ひとつのイデオロギーに肩入れせずに把捉した、アメリカのさまざまな文化の混淆するジャクソン・ハイツ地区。驚くべき編集のリズムによって奏でられる三時間の卓越さは、街にたいしてカメラを向けたことのある者には容易に理解されるだろう。そろそろワイズマンの過去作品をまとめて観ていきたい(今年の頭、シネマヴェーラでワイズマン特集が組まれたと海外で知ったとき、どれだけ悶えたことか!)。そのほか、コンペ部門では『家族の映画』『ルクリ』『カランダールの雪』『フル・コンタクト』などがよかった。書く気力があればまたあらためて書こうかな。

 

自転車を手にいれました。今年よりTIFFは、メイン会場である六本木と並行して、新宿バルト9やピカデリーでも上映があった。六本木と新宿は近いようで電車で移動するのはかなり煩雑なので(大江戸線が深すぎるのが諸悪の根源である)、かねてから所望していた自転車で、およそ1週間にわたって、高田馬場のシェアハウスと大学、映画祭の会場である六本木と新宿といった地点を自転車に乗って駆け回る。六本木と新宿の会場移動については、ドアー・トゥー・ドアーで言えば電車よりも自転車のほうが早いのです。しかし早さにかぎらず、東京の街を自転車で疾走するのが最高すぎて、もう電車に乗りたくないという気さえしている。電車、とりわけメトロで移動していると、駅と駅の間の地理的連続性が絶たれてしまう。東京にはもう五年以上も暮らしているにもかかわらず、六本木と渋谷があれほど近いことだって知らなかった。「極度の鉄道依存状態にある東京では時間と距離が逆転している」という押井守の至言がありますが、「時間」によって理解されていた東京の街の地図が、自転車を漕いで「距離」によって塗り替えられることで、あらためて東京という街がひとつの総体として存在しているということがよくわかって、とても楽しかったのです。地図のなかのひとつひとつの道に血が通っていくような感覚というか。自転車を漕ぎすぎてお尻にマメが出来てしまったので(痛い)、治癒し次第、寒くなりすぎないうちに自転車ですこし遠くまで行ってみたいと思う。近ごろミーハーながらにして自転車の素晴らしさをよく友人たちに力説しているのだがあまり聞いてもらえなくて悲しい。いまの自転車は、友人から借りているママチャリなので、資金に余裕ができたらちょっとカッチョいいモデルを買ってやるぞ、という決意を固めるものも、それが果たされるのはいつになるやら。

 

今月より、上記のシェアハウスに一緒に住んでいる友人たちを中心に、読書会のようなものをはじめた。彼らとは数年前も「集まってなにか話す」というだけの怪しげな会合を定期的に開催していたのだけれど、「(22歳の)読書会」という名がついている今回の会合も、毎回ひとつ小説を取り上げ、それについて脈絡もなく駄弁るという会である(ほかの文学読書会にはほとんど参加したことがないので、実際のところ読書会がどういうものなのかはいまいち判っていない)。この読書会をひらいている理由はきわめて不純で、主催者によると「読書会がないと本を読まない」し、せっかくなら「新しいお友だちをつくりたい」とのこと。僕もこの見解に賛意を示します。月1くらいで開催してゆくので、22歳にかぎらず、興味のあるかたはぜひお声をかけてください。なお、第一回はミシェル・ウエルベック『服従』を扱った。その読書会の模様については、羞恥と闘いながらもインターネットにレポートをアップロードしたのでお暇なかたはぜひご覧ください(リアリティのある近未来を描くために――ミシェル・ウエルベック『服従』を読んで |(22歳の)読書会 )。

 

D.A.N.のライブに行った。結成のときから追いかけていて、ようやくこのあいだの七月にはじめて観ることができたのだけれど、それ以来僕にとっては二回目となるライブアクト、今回も渋谷WWW。彼らの音楽は、大きなハコであればあるほど映える。いやあ、相も変わらず格好よかったな。私情もすこし挟まっているのは否めないが、彼らはいまの東京でいちばん格好いい音楽を鳴らしていると個人的に思っているので、これからの活躍にも目が離せない。

そして、TIFFの最終日でもある十月末、映画を観終わったあと、ブルーノート東京まで、カマシ・ワシントンの公演を観に行ってきた。ブルーノート東京に赴いたのははじめて。ボロいママチャリで到着することが気恥ずかしくなる瀟洒な建物が立ち並ぶ南青山の通りに堂々と聳え立ち、若干の緊張感のもと中に入ると、目前には僕なぞの一介の学生が背伸びしても届かないような素敵な空間が広がっている。そして、待ちに待ったカマシ・ワシントンのアクト。いやあ、もうね、ほんとうによかった。オール・タイム・ベスト・アクトと断言してもいいくらいに素晴らしきパフォーマンスだった。あの夜からしばらくの日数が経ってしまったが、いまだにあの感覚を、あの最高の夜を思い起こしてみるだけで、気分が高揚してゆくのがわかる。

”Change of the Guard”の力強いホーンパートのテーマが頭のなかで再生され、躍動感のあるベースが体内で蠢き、ツインドラムのビートが身体を動かしてこようと能動的に働きかけてくる。はあ、なんて最高なんだ。カマシ・ワシントンはまだ34歳。おそらくまた来日するだろうし、ずっと追いかけることができると思う。またいつかどこかで、あの音楽に身を浸たす夜が待ち遠しい。どうしようもない夜に、音楽もなにも聴かず、ただ静かに考えごとにふけながら煙草をくゆらせる夜もまた同様に悪くはないのだけどもね。

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(2015/10/19、渋谷にて撮影)


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