非匿名的な死を前にして立ち竦むわずかばかりの時間について

非匿名的な死を前にして立ち竦むわずかばかりの時間について彼女とはとりたてて親しい間柄というわけではまったくなかった。彼女の存在が僕の生にたいして、何らかの特別な意味を与えてきたことは、これまで一度もなかったように思う。だが皮肉なことに、突如として訪れ、思わぬかたちで僕のもとに通達された彼女の〈死〉が―――ほかの十三の死でもなく、あるいは匿名的な死でもなく―――僕に向かって、何かを呈示せんと主張しているように思えてならないのだ。僕は彼女を知っていた。彼女も僕を知っていた。たったその程度の脆弱な関係性が欠けてしまっただけなのに、彼女の死を前にして、僕は戦慄させられ、動揺させられてしまっている。

それはおそらく彼女の死がある象徴的な語られ方をしているからでもあるだろう。彼女は、連日メディアを騒がしている夜行バス事故で命を落とした十四人のうちのひとりだった。大学のゼミの仲間同士でスキー場へと長距離バスで向かう途中だったという。僕は彼女の死を、インターネットのメディアを通じて知った。

 

事故のあった朝、すこし僕は寝坊した。眠い目をこすりながら朝食を口へと運んでいるあいだ、居間のテレビから流す事故についての報道が、寝ぼけ頭に断片的に引っかかってきたことだけは覚えている。しかしその時点では、あの凄惨な事故は、あくまでテレビの向こう側にだけ存在している彼岸のできごとに過ぎなかった。僕にたいして強く訴えかけてくるものはなにもなかったし、そんなことよりバイトに遅刻しないことのほうが僕にはよっぽど重要な問題に思われた。急いで支度をして家を飛び出す、いつもと変わり映えしない一日。

夜遅くに帰宅してからツイッターをひらいた。バス事故にまつわるツイートがちらほら見受けられる。僕はそこで、事故による十四人の犠牲者が、運転手を除くとみな大学生であったこと、僕と同じ大学で同じ学部の生徒が何名もそのバスに乗車していたことを知った。そして僕は戦慄する。犠牲者一覧のなかに、見覚えのある名前が載っているのを発見したのだ。たちまち背筋が凍った、まさか―――。

 

しかし、間違いはなかった。確かに僕の知っている、僕がただ知っているだけの彼女だった。彼女の名前と住所と所属を示す無機質な文字列がタイムラインを流れてゆく。どうやら彼女は、僕と同じ町に住んでいたらしい。彼女の住まいなんてこれまでぜんぜん知らなかったし、とくに興味もなかった。このようなかたちでその情報が目の前に突きつけられることにめまいを覚えた。

フェイスブックから取ってきたという彼女の写真が記事に貼られている。すかさず僕はフェイスブックをひらき、おずおずと検索バーに彼女の名前を打ち込む。SNS上でも僕の「友人」である彼女は、すぐさま一番上に表示された。さきほど見たものと同じ写真だった。ほかにも彼女のページには、ゼミの仲間と撮ったと思しき写真、海外で撮ったと思しき写真が何枚も何枚もあった。どの写真に写っているのも僕の記憶のなかにあった彼女と寸分違わぬ彼女の姿だった。

インターネットを動揺のさなかに徘徊していると、彼女の父親が、彼女の死について、メディアにたいして気丈に語っているところに遭遇する。それらを僕は深夜の自室でひとり、パソコンのディスプレイを介して見つめた―――しかし、いったいこれはなんなのだろう。彼女が僕と同じ町に住んでいたことを予期せぬかたちで知り、ほとんど訪れたことのなかった彼女のSNSのページをひらき、その存在をいままで考えたことすらなかった彼女の父親がディスプレイの向こうで、報道陣に囲まれながら彼女の死について語っている。

僕はふと思い出した。彼女のことを、いつも冗談半分につけたあだ名で呼んでいたことを。当時、あだ名をつけることが許されるくらいの関係性はあったのかもしれない。なんなら高校の時分からの知り合いではあったから。とはいっても、ちかごろはキャンパスでときたますれ違って、挨拶をする程度のものだった。最後に彼女と会ったのはいつだったろう。もはや思い出すことすらできない。そのもっと前に、僕たちは幾度か会話をすることもあった気がしている。けれど、いったい僕たちはなにについて話していたのだろう? これも記憶に残っていない。どのみち、僕たちのあいだに取り交わされたものは、僕にとっても、彼女にとっても、何の意味も持たないような空言に過ぎなかったのだろう。はじめに言ったように、僕は彼女を知っていて、彼女も僕を知っていた、たったそれだけのことだったのだ。

 

僕は、彼女の死がすぐに記憶の奥底に沈殿していくことを知っているし、僕の日常そのものになんら支障もきたさないことも知っている。明日、僕はいつもとおなじように惰眠を貪るだろうし、予定どおりに出かけているだろう。事実、事故の翌日である今日はそうしたし、彼女の死になんておかまいなく、僕はいつも通りの日常を送った。そのあいだ、彼女の死について思いをめぐらしたのはほんのわずかばかりの時間にすぎなかった。時間が経つにつれて――あるいは明日にはすでに――考えることすらなくなっているかもしれない。

「彼女の分まで生きる」。こんな決意は欺瞞でしかない。そもそも、かつて彼女の生が、僕にたいして大きな意味を与えなかったように、彼女の可能的な生が、僕になにかを与えていただろうとは到底思えないからだ。だから彼女の突然の死を前にしたところで、この認識を改める必要はない。すくなくとも僕は彼女の死を負う立場ではまったくないのだ。僕は、彼女の存在いかんは別にして、ただただ生きるしかない。彼女の死に託けて、そのことをみずから騙すつもりは毛頭ない。

 

では、彼女の〈死〉は、果たして僕になにを語りかけているのだろう? あのときの戦慄はなんだったのだろう? ―――それは、僕は彼女であってもよかったし、彼女は僕であってもよかった、というただひとつの可能性だろうと思う。僕は彼女を知っていた。彼女は僕を知っていた。その程度の関係性にある両者が反転していたところで、だれもそのことに気づかなかったにちがいない。僕は彼女のようにあのバスのなかで予期せぬ最期を迎えていたってよかったし、彼女は僕のように犠牲者一覧のなかに見憶えのある名前と写真を見つけていたってよかった。

でも、そうではなかった。いま僕は生きているし、明日も明後日もおそらく生きている。いま彼女は生きていないし、これからもずっと彼女の生は失われてしまったままだ。僕は彼女であってもよかったし、彼女は僕であってもよかった。けれど、たまたま彼女は僕ではなかったし、たまたま僕は彼女ではなかった。いま僕のなかにある動揺は、たったそれだけのことを示しているのだ。

 

非匿名的な死は、わたしたちの流れゆく生が、じつは不安定なものにすぎないことを、わたしたちに暴力的に通告する。しかし流れゆく生は、やがてそのことも忘却のかなたに放りこむ。わたしたちは、いまここにある生が安定しているものとして、この生の流れがいつまでも続くものとして、ふたたびその流れのなかに身を委ねるのである。記憶の奥底に沈殿した非匿名的な死は――フェイスブックの友人一覧に名をつらねる死者は――ときおりわたしたちのもとに断りもなく現れて、盤石に思えていたわたしたちの生を揺さぶっては、またすぐに消えていくにちがいない。そして、この生が終わりを迎える瞬間に、わたしたちは、ほかでもない彼らが正しかったことを知るのであろう。

 

以上の文章を、帰りの電車に乗っているあいだに書き上げ、僕は最寄駅で降りた。空腹を訴え始めた胃に応えるべく、駅から自宅までの帰路を急ぐ。駅前の交差点、ひとつの看板に出くわした。それは、「○○家葬儀場」への案内板だった。

そこにあるのは、この町のどこかに住んでいたはずの、ほかでもない彼女の名前である。その看板を前にして、僕は、複数のせめぎあう気持ちの反乱を処理しきれずに、ただただ立ち竦むことしかできなかった。

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(2013/02, 地元にて撮影)


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