吉田美奈子 THE TRIO(2016年夏, 新宿PIT INNにて)

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新宿ピットインに吉田美奈子 THE TRIOを友人と聴きにいった。2 DAYS 公演の1日め。この日がはじめて吉田美奈子を生で聴く機会になった ―― 彼女の書いた曲のうちでいくつか好きなものはあるが、もともと熱心なリスナーではなかったので、今回たまたま友人に誘われることがなければ、このまま彼女のコンサートを観にいくことはなかったかもしれない。去年の末に新宿文化センターで開催されたピットイン50周年フェスティバル、2日めに出ていた渋谷毅オーケストラ with 吉田美奈子 をはじめとするラインナップに惹かれながらも、さんざん逡巡したあげく、1日めのほうを観にいっていたし(幻の山下洋輔トリオの再結成、ただただすさまじかったので正しい選択をしたといまでは思っている)。

 

さて、吉田美奈子 THE TRIO。吉田美奈子(Vo), 森 俊之(P), 井上陽介(B)。アンコールも含めて、20曲を唄いあげた。20時すぎにはじまって、休憩を挟んで、終わったのは23時前。2時間半のあいだ、ときどきMCをはさみつつも、ひたすら唄いつづけた。圧巻でしかなかった。

いままで音源を聴いているかぎりは、巧いとは思いつつさして彼女の声そのものに感動したことはなかったと記憶しているが、生で聴く吉田美奈子の声というのはとにかくすさまじかった。彼女の口から放たれた声が、生命を得て会場を飛び跳ねているようだったので、この生命体が、音源のなかに収められるのを嫌うのも無理はない、なんらかのメディアにきちんと格納されるべくもないと納得すらしてしまった。

はじめの数曲は、意図的なものだったのか、唄い始めで声が出ていなかったかわからないのだが、すごく丁寧にしっとりと歌っていたように思う。息継ぎ、しゃくり、節回し、そういう歌唱における彼女の技巧はやはり卓越している。もともとジャズのひとではないといえど、ジャズ・シンガーとしても日本を代表をすることができるのではないだろうかとすら素人には感じられた。はじめのときの彼女の唄は、白いシルクのビロードのように優雅に風に舞っていた。聞き手である僕はその周りをぐるぐると旋回しているようなイメージを想起しながら、音楽に耳を傾ける。身体を揺らす。なんという至福の時間。

ドラムレスのシンガーを据え置いたトリオというのは、案外聞き好いものだ。パーカッションがいないせいか、へんにリズムが立っていなくて、三人の合わさったリズムの微妙なもたつきが身体に心地いい。コントラバスの井上陽介さんがずっとニコニコしていたのが印象的だった。MCのあいだもニコニコしながら「妻に怒られてばかりです」とこぼしていたが、その光景が瞼に浮かぶようで微笑ましい。これからも仲良く健全に怒られ続けていてほしい。

 

5曲めの「Acknowledge」あたりから唄いかたが変わり、彼女らしい力強い歌唱となる。ふつうはメロディを唄う声というのは、聞き手には「線」として感受されるようなものだけれど、彼女の声は「線」ではなく「面」としてやってくる。酩酊のせいという可能性も否めないが、彼女の声に、身体が物理的に圧されているような気すらしてしまう。くらくらする。ここに来るたびに思うけれど、やはりピットインの音響がすばらしい。

休憩を挟むまえの「雨 Rain」なんかは、ただただ圧倒された。「Wave」「Mystic Paradise」、アンコール前の最後に歌った「The Life」のあたりは、もうほんとうにすさまじかった。あの超越っぷりをことばで伝える力量を持ち合わせていないのが悔やまれる。

ただほんとうによかったのは、「さよなら」「愛があたためる」といった曲たちかな。それまでの曲たちは、ポップさを孕んでいるといえど、どちらかといえばわりにジャズ的な要素が色濃い曲たちだったので、吉田美奈子の声は、ピアノとバスが生み出すコード感のうえにすごく楽器的な乗りかたをしていた。そもそも旋律が楽器的であるというか。並のシンガーであれば、ああいうメロディの曲を歌っても、アンサンブルのなかに埋もれていたかもしれない。彼女の声がすさまじい分、それだけでほかの楽器を差し押さえて、ひとりでに浮き上がってくるほどの力があった。

いっぽうで、「愛があたためる」は、メロディもふくめて、すごく日本的な歌唱曲だった。唄の旋律は、楽器の奏でるコードにたいして、素直に「唄」として乗っていく。とにかくそれがいいのである。吉田美奈子の声のひとつひとつの震えに鳥肌が立たせっぱなし、思わず涙が零れたほど。これほどシンガーの唄に圧巻された演奏は、ちょっとあまりほかには思い出せない。吉田美奈子はことしで63歳。アンコールを経たあとの2曲は、すこし疲れが見えたのだが(声の伸びがさして感じられなかった)、ふつうの63歳であれば、2時間半も続けて唄うことすらできないだろう。しかも、あの力強さ。まったく伝説的な超人である。もういちどとはいわず、向こう10年くらいは、いくどか彼女の公演には足を運べることを期待している。

吉田美奈子 the trio_pitinn

 

ちなみに、休憩中にはじめて日本を旅行をしているというロンドンから来たカップルと仲良くなった。日本各地のジャズの箱を訪れ、その夜はたまたまPIT INNに飛び込んだという。吉田美奈子の存在は知らなかったが、とにかく彼らも昂奮していて、「彼女はレベルが違いすぎる」と賛辞をまくしたてていた。終演後、手短に挨拶を済まし、彼らは嬉しそうに走って(!)帰っていった。小学生みたいだった。日本旅行を楽しんでいるようで何よりである。


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