どうやらもう大学生になってしまったらしい

どうやらもう大学生になってしまったらしいけれど、あまりよくわからない。

どうも、すこしの間更新を止めていたイモブログも、ぽつりぽつりと更新を再開しようかと思います。
べつにこの間になにか僕のブログ更新を妨げるような出来事があったわけではないし、むしろブログの記事になりそうなこともそれなりにあったように思うのだけれど、それでも何となく更新する気が起きずに放置していたら、サーバの更新を忘れて数日間イモブログが消失するという怠惰の極みみたいな事件も起きたけれど、何とかこうしてイモブログで再び筆を取ることができました。あっぱれ。

さて、前回の更新からどうやら肩書きが変わってしまったらしい。
高校を卒業して4月から「高校生」から「大学生」になったみたいだ。もう高校生とは名乗れないらしい。せつない。

中身はあまり変わっていないらしいけれど。

というわけで、無事に早稲田大学国際教養学部に入学致しました。

入学して、それなりにあたふたして、授業が始まって、1週間とすこし経ったところで、
すでに高校のときは週に6日も朝7時くらいに起きて高校へと1時間かけて行き、椅子に座って昼過ぎまで授業を受けていたという事実に戦慄している。高校生凄すぎる。

大学生ってどうなんだろうね、あまりよくわからない。

高校3年間が男子校だったから、女子が同じ環境にいるという感覚は変だという気もしていたけれど、案外そうでもないのかもしれない。
ただし国際教養学部、通称SILSは女子率が思っていたより高くて3秒くらい面食らった。まあいいんじゃない。

何より気になるのは、これまで文化祭くらいでしか女の子と絡む姿を見ていなかったクラスメイトたちが、大学に入って女子と触れ、変な化学反応を起こして身に纏う衣服の系統だけでなく性格をもすこし変えてしまったようなやつがいる。いまはただ浮かれているだけのかもしれないけれど、所謂”大学デビュー”を遂げたひとたちと話すと「お、おう…」と面食らって、そのあと一抹の寂しさを勝手に感じている。人って変わるのだろうか。あまりよくわからない。

大学に限らずだと思うけれど、新しい環境というのは(見ていて)とても面白いものだと思っている。

多くが浮かれて目を輝かしている(気がする)。
春の陽気がその新たな環境へのワクワクを助長しているのだとは思う。

そしてどうにかしてぽつりぽつりとそれぞれがそれぞれのコミュニティを形成し始めている。
「あ、どうも。名前は?」みたいな会話があちらこちらで繰り返されて、数日後には「よう」と言葉を変えている。
いつの間にか随所に見られた余所余所しさもなくなってきて、友達の群れ、としてコミュニティができている。
うちの学部の生徒を白く大きなキャンバスに勢力図みたいな感じで書き出したら面白いのかもしれないね。

ちなみに井上は、(決して友達ができないというわけではなく)飄々として、俯瞰的にそのコミュニティ形成が進んでゆく様を眺めています(決して友達ができないというわけではなく)。だって面白いのだもの、見ている方が(決して友達ができないというわけではなく)。厨二病と揶揄されるかもしれませんが、その通りです。不治の病です。
ある人はそれをコミュ障と呼ぶけれど、初対面のひとほど苦手なものはないよ、とつくづく思う。
相手の出方を伺っている。どう自分をその人との世界のなかにフィットさせようかとまごついている間にことが終わってしまっている感じ。
だから友達をバシバシと作ってゆく超アグレッシブなひとを見ると、尊敬してしまいますね。ほげえって感じ。

まあなるようになるさ。
高校のときもそうだった、周波数が合う人間はそれを発しているからいつしか引き合うんだと思うよ。
だから無理に取り繕ってアグレッシブボーイになって交友関係を広げたところで、結果的にあまり意味のないことになるだろうと思う。結局のところ違う周波数を発しているのだから、あとで自分が居心地が悪くなるだけなんだろうな、と。
そうは思いつつ多少無理すると、やっぱり居心地の悪さを感じてきて逃げ出してしまう。ウウム、春のこの時期は面白いけど、きらいだ。苦手だ。

だから、大学生ってどうなんだろうね、っていう質問も、あまりよくわからない。

ところで、早稲田大学はサークルの数が日本一らしい。大学公認が700程度、非公認も含めると3000は下らないだとか。
恐れ入ったものです。したがいまして、新歓期のキャンパス内はすごく騒がしい。

ひたすらドンドンガチャガチャやっている。大隈重信がそれを動かずに見つめている。いったい彼は何を考えているのだろう。

きっと彼は60年代の学生運動が全盛期を迎えていた時期もそうして見つめ続けていたんだろうね。
上の写真で学生が持っている看板やのぼりがサークルのものでなく、何かを憂いて糾弾する過激な内容だったのだろうか、たぶん今の新歓よりも絶対そっちの方が面白い、生まれてきた時代を間違えたかもしれない。

そんな話を友人とすこししながら、慣れぬスーツに袖を通して闊歩していたら、サークルへの勧誘が次から次へとチラシと共にやってくる。
田舎から上京した純情な少年少女たちならたちまち目を回してしまうだろうってくらい。
何となく片っ端からチラシを貰ったら、厚みが20センチくらいになった。いったい何枚あるんだろう。

そんなチラシたちを、一新入生として僅かばかり期待を膨らましつつ丹念に目を通したのだけれど、その僅かばかりの期待は消沈してしまった。

誰かが大学は多様性があって面白いところだと言っていた気がする。
なのにどうだろう、驚くほどその膨大な量のチラシで面白そうで興味を引くものがない。
新刊情報紙みたいなのも読んだ。どうしてこんなたくさんあるのに、どうして心を打つものがないのだろう、と心中で嘆いていた。

どれもすごく似ている。均質化されすぎている。
新歓コンパなんてどれも似たようなものなのかもしれない。たぶんそうなんだろう。そこにワイワイ騒いでワー楽しい、さあ入ろうって短絡的に思う学生がいる、あまり信じがたいこと。だけれど、たぶんたくさんいる。同じような学生たちが。
先輩と思しき人間たちの会話を耳にしていると、あるいは新入生たちの「サークルとか決めた?」会話を聞いていると、すごく悲しくなってきた。4年間の過ごし方として適切と言えるのかな。もちろん人によってはすごく良い経験を得るひともいるのかもしれない。けれど。

表面だけしか見えてないだけなのだろうか。自分と合った周波数を発しているところはあるのだろうか。

うーん、あまりよくわからない。

いまはもう少しだけ飄々とさせてもらおうかなと思います。あまりよくわからない、をちょっとくらいわかった、って言えれば今期はいいかな。同じ周波数を発するような人々を見つけられればと思います。なるようになる、といいんだけど。


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