ドストエフスキー『罪と罰』――みずからの〈生〉を肯定するために〈罪〉を引き受けるということ
  • 2015/10/11

ドストエフスキー『罪と罰』――みずからの〈生〉を肯定するために〈罪〉を引き受けるということ

”《もうたくさんだ!》彼はきっぱりとおごそかに言った。《幻影、仮想の恐怖、妄想よ、さらばだ!……生命がある! おれはいま生きていなかったろうか? おれの生命はあの老婆とともに死にはしなかったのだ! 老婆の霊に冥福あれ――それで十分だ。(…)《おれはもう二本の足がやっとの空間に生きる決意をしたのだ!》” 5年ぶりくらいにドストエフスキー『罪と罰』(工藤精一郎訳, 新潮文庫)をふたたび手に取った。『罪と罰』は、わたしがはじめて読んだドストエフスキーの作品でもある。5年前にはじめて読んだときから比べると、だいぶ読みかたが変わったように思える。もちろん、読みがある程度深くなった部分もあるのだろうけれど…

フランツ・カフカ『審判』、あるいは夢のなかで突き立てられるナイフ
  • 2015/04/12

フランツ・カフカ『審判』、あるいは夢のなかで突き立てられるナイフ

ある朝、主人公のヨーゼフ・Kがとつぜん逮捕されるところから物語がはじまる。なんだって冒頭の文章がこの通りなのだ。 “だれかがヨーゼフ・Kを中傷したにちがいなかった。悪いことはなにもしなかったにもかかわらず、ある朝彼は逮捕されたからである。” 朝眼が醒めてベッドでまどろんでいると、突然見知らぬ男たちが彼の自宅にずかずかと入ってくる。横柄な態度をとりながら、「きみは逮捕された」と高らかに宣告してみせるが、ヨーゼフ・Kがなぜ逮捕されたのかと問い詰めても適当にはぐらかされ、やがて「なぜかは知らないが、ただわたしはきみを逮捕するという上からの命令に従っているだけだ」と白状する。比…

カフカの〈リアリティ〉に酩酊する(あるいは保坂和志『小説の自由』について)
  • 2014/11/23

カフカの〈リアリティ〉に酩酊する(あるいは保坂和志『小説の自由』について)

机のうえに、一塊の大きなパンがあった。父がナイフをもってきて、それを半分に切ろうとした。ところが、ナイフはしっかりしていてよく切れるし、またパンは柔らかすぎも固すぎもしないのに、ナイフの刃がどうしても通らない。ぼくたち子供はびっくりして、父を見あげた。父はこう言った。「おまえたち、なぜ驚くのだね。なにかが成功するほうが、成功しないより、ずっと不思議なことではないのかね。さあ、もうおやすみ。たぶん、なんとかうまくやれると思うから」  ぼくたちは寝床に入った。しかし、ときおり、夜幾度もまちまちの時刻に、ぼくたちのだれかがベッドのなかで起きなおり、首を伸ばして、父を見た。背の高い父が、いつもの長い上…

「未だ想像もできないものへの憧憬」、だれかのことばにドキリとすること
  • 2014/10/11

「未だ想像もできないものへの憧憬」、だれかのことばにドキリとすること

あなたをドキリとさせることばはどこからでもやってくる。友人が放ったさりげないひと言かもしれないし、ツイッターのタイムラインの海に漂っているひとつのツイートかもしれない。もしくは街角に貼られた広告のキャッチコピーかもしれないし、ラジオで流れてきた名前も知らないミュージシャンが歌う詞の一部かもしれない。そういうことばたちはいつも突然勝手にあなたの前に現れて、なんの許可もなしに頭の中を占拠してしまう。そのなかにはあるいは刺のようなものが潜んでいて、あなたのことをじわりと傷つけてゆくかもしれない。けれどもいくら取り除こうとしても、それはしばらくそこに居座って動こうとしないのだ。ただ、ドキリとさせられる…

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