日記

ブルキナ日記 #01  |  というかなんで、ブルキナファソなんかに

ブルキナ日記 #01 | というかなんで、ブルキナファソなんかに

「ブルキナファソに留学に行く」と伝えたら、おもっていたより多くの人が「どこそれ?」と怪訝な顔をする。西アフリカ、コートジボワールとかガーナの上、マリの下だよ、などと簡単な地理を説明すると「それっていま流行ってるエボラ熱とか危ないんじゃないの」というもっともな指摘が飛んでくる。僕もすこし深刻な顔をしてみせながら、ブルキナファソにはまだ来ていないし、国境で接している周辺国にもまだ感染者はいない。もちろん日本にいるよりリスキーだけど、ウイルス自体は案外弱くてちゃんと対策をすれば…と長々とした講釈もどきを始めようとすると、それを遮り「というかなんで、ブルキナファソなんかに」と核心に迫ってくる質問にたど…

Rodrigo Amarante、リスボンですれ違った「異邦人」たち

Rodrigo Amarante、リスボンですれ違った「異邦人」たち

彼の名前を知ったのは、ほんの数ヶ月前のことだった。ラテンアメリカ、とりわけブラジル音楽に興味を持ち始めて、その流れでいろいろ聴いた。僕はこれまでどこか異国の音楽を能動的かつ体系的に掘り下げるという行為をほとんどしたことがなく、僅かばかりの音楽的教養はすべて友人などの受け売りだったので、こうして自発的にひとつの土地の音楽に関するあれこれをネットで読んだり人に訊いたりしながら掘っていくのはわりと新鮮な体験ですごく楽しいんなっていまさらながらに気付いた。 なによりもブラジル音楽がすごくよかったのが大きい。もともとボサノヴァが好きで、アントニオ・カルロス・ジョビンなんかを昔からけっこう聴いていたことも…

21歳、異国で泥にまみれながら

21歳、異国で泥にまみれながら

腰を上げて、汗を拭い、辺りを見渡そうとするとふいに立ち眩みに襲われた。すこしして取り戻した視界の先には、ただただ広大な土地があって、数百数千と残っているキャベツの芽がケースに積まれている。僕はいま、異国の地、フランスのプロヴァンスでひとり、だだっ広い畑でひたすらにキャベツの芽を植えている。終わりの見えない単純作業に気が遠くなりながら、泥にまみれた腕で汗を拭う。 立ち上がってぼうっとしているとさなか、ふいに自身の身体を自覚した。燦々と照りつける太陽の日差しを受け、地中海からやってきただろう南風に吹かれて、農作業で泥だらけの自分自身の身体が、ここにしっかりとある。奇妙な感覚だ。左手をすこし挙げて、…

高円寺ガード下ではもう鳴ることはない音楽

高円寺ガード下ではもう鳴ることはない音楽

訃報を知ったのは、1週間ほど前だった。彼は音楽家だった。2年半くらい前に初めて会ってから、たぶん数えるほどしか会ったことがない。だからあとのことは、正直あまりよく知らない。ただ音楽家であることだけはよく知っている。そんなひとの訃報を前に、筆を取ること自体が相応しいのかわからない。何かを言う権利があるのかわからない。向き合いかたがわからない。1週間前の日記の文章はぐちゃぐちゃで目も当てられない。 一度、高円寺のガード下で共演したことがある。いったいいつから、これまで幾度そうして彼は路上で音楽を鳴らしたのか僕は知らない。彼は不器用な生活をしていて、そうして時おり銭を稼いで日々生きていたことだけ、何…

仏留学中の僕のフランス語能力の推移の様子をセキララに記録します(4ヶ月目)

仏留学中の僕のフランス語能力の推移の様子をセキララに記録します(4ヶ月目)

フランス、エクスアンプロヴァンスに8月末に交換留学としてやってきて、ヒイヒイといいながらフランス語の修得をどうにか試みるプロセスを纏めるシリーズ。少々間が空いてしまいましたが、今回はメモっていた4ヶ月目の様子を公開。これ以前の留学前のレベル、1ヶ月〜3ヶ月目の推移についてはこちらをご参照ください。(写真はフランス人なら誰しもが読んだことあるであろう、Jacques Prévertの”Paroles”より”Barbara”。プレヴェールの詩のなかで僕の好きな詩のひとつ。) 4ヶ月目(2013年12月) さて、4ヶ月目。「なんだかんだ語彙じゃねーの」…

豊かさを手にした旅の末に
  • 2014/03/31

豊かさを手にした旅の末に

なぜかその日曜日はとても朝早くに目覚めた。特に予定もなかったけれど衣服を着替え、カメラを掴んで家を出る。ぼんやりとしながら駅へと足を運び、まだひともまばらな上りの電車に乗り込んで、都心へと向かった。当てもなく水道橋あたりで下車し、あれこれと思索に耽りながらやわらかな日差しのなかを歩いていると、スポーツ紙を広げているマスターのほかには誰もいない寂れたカフェに行き着いた。陽が届く窓際の席に腰掛けて、読みかけの文庫本を片手に、熱いコーヒーを体のなかへと流し込む。 なんて豊かなんだろう、と思った。その瞬間が、愛しくてたまらなかった。そして同時に、かつてこれに似た豊かさを感じたことを思い出す。 — 17…

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