3ミリくらいはロマン・ポランスキーについて語れるようになったはず

3ミリくらいはロマン・ポランスキーについて語れるようになったはず

ロマン・ポランスキー、なぜかいままで1本も観たことなかった。ポランスキー特集は東京でもしょっちゅうやっていた気がするのだけど、なぜか僕はいままでずっと敬遠していたような気がする、べつに特に理由はないのだけれど。 そして『反撥』で描かれた、いまにも壊れてしまいそうな危うげな表情を浮かべたカトリーヌ・ドヌーブ(当時22歳くらい)が表紙となっている上のパンフレットなのだけれど。エクスアンプロヴァンスにある3つの私営の映画館とはべつに、『Institut de l’image』という映画会館的なモノがあって、そこで今年の9月はポランスキーの作品だけを特集しておりました。私営のものよりもさら…

シトロエンの車がダサカッコいい話など

シトロエンの車がダサカッコいい話など

いつぞやか自転車を買った。エクスアンプロヴァンスの中央通りからすこし北に位置する、足下がおぼつかない上に、手が震えすぎて最早ネジをはめるのさえかなり時間がかかる愛すべき爺さんが仕切る中古の自転車屋で、60ユーロ。写真だとすこしカッチョよく写っているけれど、ちかくで見るとやはり中古の自転車感があって(いや実際にそうなんだけど)、いつ壊れるかわからない危うさを兼ね備えている。右ハンドルのブレーキをすると、タイヤと擦れてけたたましい音が鳴り響く。「何かブレーキするときにやたら異音がするんだけど…」と爺さんのところへ言いにいったら「この自転車にはクラクションがないだろう?このブレーキ音がクラクション代…

フランス語は英語より美しい(スペースが最高)

どうでもいいことを書く。 フランスに来て3週間余りが経って、まあ何とかやっているわけですが、日々の暮らしについて紹介する前に、僕にとってはどうでもよくないけれど、おそらくどうでもいいことを書きます。フランス語についてです。 僕はかねてより、何というか不必要に几帳面といいますか、大雑把だけれどもやたら細かいことが気になってしまう性質で、友達からウザがられるということがこれまでの人生で何度もありました。エントロピーは日々増大し、ときには部屋はカタストロフと化していたりもするのだけれど、なのにほんのちいさな細かいことが気になってしまう。困った性格です。 そのなかのひとつ、昔から英語だとときどき気にな…

「日本の皆さん、僕は留学に行っています」という簡単な挨拶の文章

「誰だって生活を変えるなんてことはありえないし、どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだ」。ムルソーは、昇進とパリへの移住を提案してきた上司に向かってさらりとそう答える。アルベール・カミュ『異邦人』の中の一節である。”On ne changeait jamais de vie, qu’en tous cas toutes se valaient.”(どんな場合だって、生活というものは似たりよったりだ)。僕はこの文章を、フランスのマクドナルドの屋外席で、2ユーロの不味いコーヒーを飲みながら読んでいた。 — 8月末から、南仏のエクスアンプロ…

毎年のことながら甲子園が最高におもしろい

毎年のことながら甲子園が最高におもしろい

僕にとっての夏の象徴ともいうべくは、田舎へと帰省して、絶え間ない蝉の鳴き声をききながら畳の上の扇風機の前に寝転がり、おもむろにテレビをつけて甲子園をみているこの瞬間だ(断定)。数日間だけれども毎年夏には親戚の住まう岡山の田舎へと帰省していて、その記憶は物心ついたときからずっと続く。どんなに忙しくてもここに帰るこの数日間だけは極力都合したい。飯はうまいし、空気は澄んでいるし、星はきれいである。20歳になったいまも、こうして同じように呑気に甲子園中継をみていられること、たぶんこれは僕にとっての幸福である。 しかしなぜああも夏の甲子園はおもしろいのだろう。 僕は基本的にスポーツ観戦はきらいではない程…

参議院選挙と『災害ユートピア』の終焉

思えばこの数年は活気があった。311のあと政治は変わる、日本は変わると思えたし、若手論客も続々登場しメディアに出てくるようになった。でももうそういう「祭り」全体が終わった感じがする。日本は変わらない。第三極も生まれない。ほんと、残念だね。ここまで見事に自民党政治が復活するとは。 — 東浩紀 (@hazuma) July 21, 2013 参院選が終わった。 投開票日の翌日に20歳を迎えた僕もどうやら有権者だったらしく(4月1日が早生まれなのと同じ論理らしい)、すなわち今回の参院選がはじめて目に見える形での政治参加だった。年金についての案内の手紙と同様に家まで届いた「選挙のお知らせ」…

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