『マイ・インターン』――交差する男性性/女性性

『マイ・インターン』――交差する男性性/女性性

『マイ・インターン』を観た。いまも熱狂的な人気を誇っている『プラダを着た悪魔』の実質的な続編といわれているためか、映画館の客の入りはものすごかった。レディース・デーだったからかもしれないが、女性客かカップルばかり。あの環境のなか男性だけで観るのはなかなか勇気のいることだろうと思うので、全国の男性諸君はだれか女性をさそっていってください。映画としても、男性性と女性性についての映画であることは明白であり、また、女性は社会のなかでいかにして仕事と家庭を両立できるのか? という2015年においてかなりホットなテーマを扱っている。そのミューズとしてのアン・ハサウェイは、ファッションのベンチャーの社長とし…

雑記 ( September, 2015 )

雑記 ( September, 2015 )

  九月のある日、僕は福岡市にある銭湯のサウナで、テレビのニュースが流すルポルタージュに釘付けになっていた。延々とつづく水害の被災地の映像。激しい水に呑まれ、車が、家が流されてゆく光景に、4年半前のあのときの光景がオーバーラップしはじめ、僕のもとに眩暈のようなものが襲ってくる。家が流されてしまったというひとりの老人が、取材にきた記者の質問に淡々と答えている。「自然の力だからね、仕方ないよ」。毎日の生活の基盤たる家が流され、丁寧に手をかけつづけてきた田んぼが荒され、見慣れた町の光景が消えてなくなる。彼がつみかさねてきた暮らしというものが、一瞬にして壊されてしまったのに、彼の口から出たこ…

ドストエフスキー『罪と罰』――みずからの〈生〉を肯定するために〈罪〉を引き受けるということ
  • 2015/10/11

ドストエフスキー『罪と罰』――みずからの〈生〉を肯定するために〈罪〉を引き受けるということ

”《もうたくさんだ!》彼はきっぱりとおごそかに言った。《幻影、仮想の恐怖、妄想よ、さらばだ!……生命がある! おれはいま生きていなかったろうか? おれの生命はあの老婆とともに死にはしなかったのだ! 老婆の霊に冥福あれ――それで十分だ。(…)《おれはもう二本の足がやっとの空間に生きる決意をしたのだ!》” 5年ぶりくらいにドストエフスキー『罪と罰』(工藤精一郎訳, 新潮文庫)をふたたび手に取った。『罪と罰』は、わたしがはじめて読んだドストエフスキーの作品でもある。5年前にはじめて読んだときから比べると、だいぶ読みかたが変わったように思える。もちろん、読みがある程度深くなった部分もあるのだろうけれど…

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